「血統を吹っ飛ばしてどうするのか(仮題)」(ブログ記事より)

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する祝福中心家庭の皆様

最近の統一運動内で、「血統」というものがどんどんおろそかにされてきているという指摘がされています。お父様のみ言葉を引用しながら「四大心情圏と三大王権と皇族圏」「長子権、父母権、王権」等の内容に触れつつ、後天時代に入ったということがどのような重要性を持つのかについて論及している記事がブログに出ておりましたので、ご紹介します。連載されていたものをまとめたため、少し長いですが、ご参考にして頂ければ幸いです。

それでは皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

[注:なお、記事のタイトルと太字化は編集者によるものです]

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「血統を吹っ飛ばしてどうするのか(仮題)」(ブログ記事より)

http://ameblo.jp/pacificera/entry-11532594993.html

数年前、統一教会の本を売っている所に行った時、統一教会の先輩家庭のリーダー達の顔写真が大きく載っている本が売り出されているのを見て、違和感を感じた事があります。

ここ数年の日本の統一教会の機関誌、Worldというのがあります。それをめくりながら、また違和感を感じました。

文先生のお話は編集されて短いものが載り、次に文亨進会長や文国進元理事長のお話と写真、そして、韓国や日本のリーダーの写真とお話 . . . 私は、これは将来、見なおしたらかなり恥ずかしいものになるのではないか、と思います。

その雑誌に登場しないのは、文顕進理事長ですが、機関誌などでは統一教会のリーダーを前面に押し立てて、背後の個別集会では、文顕進理事長と郭牧師のバッシングを繰り返していました。

今では統一教会は、文亨進会長や文国進元理事長もバッシングの対象にしています。統一教会では、血統が吹っ飛んでしまっているようです。

文顕進理事長が、弟にカインとして屈服しなければならない、という理論を統一教会が持ち出した時点で、統一教会は既に血統を捨てたも同然、と見えました。もし、文先生の家庭が「真の家庭」なら、そのようなアベルカイン復帰はありえないからです。「真の家庭」の否定の理論でした。

祝福中心家庭は「家庭の誓い」を唱えているはずですが、「四大心情圏と三大王権と皇族圏」が吹っ飛んでしまっているように思えます。

もともと、アベルカインが出てくる長子権復帰の話は、堕落で三代権限を失ったからです。堕落しないで完成するようにしようとするなら、創造原理本然の道を進まなければならなかったはずです。

文先生のお話には以下のようにあります。

「アダム、エバは何をするべきかというと、神様の形状を完成させなければならないのです。

神様の形状は人類の父母であると同時に万国の王です。アダムとエバが堕落して三代権限をを失ったのです。

人間のうちアダムは第一子、長男です。長子権を持っているのです。アダムは神様の長男です。長子権を持ったのです。その長子が何かというと、父になるのです。

長子権、父母権. . . 。父母となって何をしますか?後には王となるのです。三代権限と何ですか?一つは長子権、その次には父母権、その次には王権です。三代権限を付与されるために、私たち人間は生まれました。」

アダムは長子で、長子権を持っていて、父になり、結婚して父母になり、王になる、と文先生は言っています。更に文先生のお話には、天国の過去、現在、未来の王権が、直系の長男を中心に継承されていくという話があります。

生存中の長子である文顕進理事長を「堕落したアダム」と呼んで追い出したら、祝福家庭全体が「堕落」した事になりませんか?

「堕落」するのではなく、三代の王権をなさなければならなかったはずでしょう?それが全ての人間に拡大されなければならなかったはずでしょう?

文先生のお話から

「おじいさんの王権時代、その次にお父さんの王権時代、それだけでなく、天国の王権時代と地上の王権時代を合わせた統一的な理想が、三代の王権なのです。

おじいさんは一代であり、お父さんは二代です。二代にしかなりません。三代にはなりません。

孫がいて、父の愛と、おじいさんの愛を受けなければならないのです。」

文先生のお話に「直系の長男の孫を中心として」という話があります。

「では、人間の目的とは何でしょうか?天国における過去の王権、現在の王権、未来の王権を、伝授するために生きるのが人間の目的です。

それで皆、王や女王になってみたいと思うでしょう?そのような主流思想を基盤とし、そこにおいて相対的な兄弟の心情圏の国民となるのです。

これは直系の長男の孫を中心として、王族に千年万年継承されていくのです。」

「長男の孫」という言葉に混乱するかたもおられるかもしれませんが、文先生はまた、次にようなお話もされています。

「三大王権とは何ですか?神様はアダムしか愛することができませんでした。アダムとエバの1代しか愛せなかったのです。

孫を持たなければなりません。孫を持ってこそ四位基台が完成するのです。孫を持てば神様が孫を愛し、アダムが息子を愛して、二人の結合がなされるのです。

ですから、そこらか生まれるものは、地上、天上天国の出発が、地上で合成して顕現するのです。」

「孫」とは、アダムとエバの子供の事を指しているお話は、文先生のお話の中に沢山出てきます。

文先生のお話にあるように、アダムとは神様の長子でした。そして、子を持ち、父になるはずでした。神様から見て、アダムの子は「孫」でした。

神様、アダム、アダムの子、と三代が連結されなければならないのが、「真の家庭」が成されたと言えるための基準のはずであり、「孫」、つまり、子を持ってこそ四位基台が完成するのです。

そして、「直系の長男の孫を中心として、王族に千年万年継承」されるはずでした。

文顕進理事長は、「原理的に権威ある位置は、神、父、長子である」と語られます。

受け入れたくない人は受け入れないでしょうが、この原理の意味するところは大きいです。

この数日、統一教会の神学を知らなければ理解するすべが無いことを増やして書いていますが、統一教会のかたに話すには、こういう内容が必要であると思い、書いています。

文先生の家庭内で兄が弟に屈服するアベルカイン復帰が必要だ、という統一教会の講義にも現れていますが、統一教会では多くの人達が復帰摂理に囚われ、混乱していると思われます。

一般社会でも、兄が弟に従わなければならないと主張すれば、「兄に問題でもあったのか?」となるでしょう。統一教会では「復帰」というと遠回りをして、世間でも当たり前と思われている事を当たり前にできるようになるための道を歩みました。

その背後には神学があります。でも、文先生の家庭に「兄が弟に屈服するアベルカイン復帰」を適応すると、大きな神学的問題が生じるはずです。

上で述べたように、文先生が立てた家庭は、堕落と関係ない本然の家庭として立てられたはずでした。文先生の家庭が出発したのが1960年からである事を思えば、家庭的次元では、既にその時に本然の世界の源が出発していた事になります

そして、文先生の家庭を昔から見ていればわかる事ですが、文先生の家庭において、兄に弟が屈服する基準は絶対でした。それは、昨日書いた三つの原理的権威ある位置、「神、父、長子」の事を考えれば当然でした。それは、家庭的次元では、創造原理的内容が展開していた事も意味するはずです。

しかし、復帰は家庭で終るのではなく、氏族、民族、国家、世界、天宙と展開され、長子権、父母権、王権と復帰し、文先生は様々な蕩減条件を立て復帰摂理を進められる先天時代を通過され、その後に、後天時代を宣布されました。

後天時代は、創造原理が展開される時代でもありますが、創造原理が、文先生個人と文先生の家庭から出発していた事を思えば、後天時代の出発の時に、文先生の家庭の方達が全世界を巡回してスピーチされた事も大きな意味を見出す事ができます。創造原理がー家庭を核として、世界に拡大する事であったとも解釈できます

文顕進理事長が家庭連合で大きな責任を与えられた、1998年から追い出される2009年初頭までは、先天時代と後天時代がまるで交差して行くような時代、復帰摂理と創造原理的世界の展開が交差して行くような時代だった、と思われます。

この間、文顕進理事長は、文先生に従ってきた人達が、荒野時代に固執してカナンに入れない可能性を指摘しながら、本然の世界や心情世界について語られながら、皆を引っ張って行こうとした時代でもあった事が、文顕進理事長の本を読めばわかります。

しかし、結局、統一教会のリーダーは、文顕進理事長を追い出しました。

では、時代が後天時代に逆戻りし、文先生が立てられた復帰の条件が無駄になるか、というとそういう事はないはずです。

文顕進理事長が、統一教会から何を言われても絶対に妥協しない姿の中に、創造本然の世界を守り拡大しようとする長子としての強烈な責任感を私は見ました。理解されなくても、父母を愛し尊敬し、長子としての道を全うしようとしていました。それは今も変わりません。

統一教会の激しい攻撃の中でも、どうして文顕進理事長は滅びなかったのでしょうか?むしろ、攻撃した人達がどんどんいなくなっているではないですか?どうしてでしょう?

昔から統一教会では、アベルがどんなに傲慢で、ヤコブがどんなに人間的には狡猾な人物でも、位置の故に、神側であったと教えられていたはずです。

復帰摂理においては次子が中心ですが、創造原理においては長子が中心です。

こういう書き方をすると、すぐに統一教会では、下僕の如くに「中心者」に仕える発想をするのですが、創造原理においては、全ての人が神様との父子の関係を結んだ、秩序ある真の愛の世界を意味するはずです。

その世界は、キリスト教徒がキリスト教徒として、イスラム教徒がイスラム教徒として生きても、全ての人が神の子として、愛と平和が訪れるはずの世界でした。

では、長子が長子の役割ができなくなる事はあるのかと言えば、それは基準を失った時でしょう。しかし、文顕進理事長は基準を失ったから統一教会から攻撃されたのでしょうか、それとも基準を守ったから統一教会から攻撃されたのでしょうか?基準を守ろうとしたから攻撃されたのです。それが最も良くわかるのは神様のはずです。

それでは、長子を攻撃し追い出すためにウソをつき権謀術数を使ったら、攻撃した側は上がるでしょうか、下がるでしょうか?どんどん下がるはずです。天の福が離れ、道徳的権威すらも失われるでしょう。

逆に、長子が基準を守った故に攻撃され、それを耐えたとしたならば、その長子の権威は、生来の長子の権威より更に一層上がるでしょうか、下がるのでしょうか?上がるはずです。

どんなに人が滅ぼそうとしても滅びない、天の守りがあるようになる、と思いませんか?逆に攻撃する側が滅びることになると思いませんか?統一教会はとてつもない間違いを犯しませんでしたか?

アベルカインの話も長子権の話も神学です。 しかし、その神学が正しいなら、統一教会はとてつもない困難にぶつかる事になるはずです。その通りになっていませんか?

<記事引用終わり>

 

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