死の罠

「祝福中心家庭有志の声からの受信メールを掲載します。」

子女としての責任を果たし、孝行の道を行くためには、お母様のかかえていらっしゃる事情を深く理解して初めてできることではないだろうか。下の記事をご参考にして下さることを願う。

出典:http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/20895

死の罠

高麗時代まで、老いた親を深い山奥に捨てる高麗葬制度があったと伝えられている。高麗葬に関連した有名な話がある。ある息子が年老いた母親を背負って山奥に入って行った。山奥に母親を捨て、重い足を引きずりながら山を降りて行った。人も通らない深い山の中、道を見つけることも容易ではなかった。しかし、登ってきた道に沿って、木の枝が折られていた。母は、自分を捨てに行く息子の背中で、息子が迷子にならないように木の枝を折ったのである。息子は母親の愛を悟り悔い改めて泣いた。再び戻って、母親を連れて帰り、幸せに暮らしたという。

子が親を捨ててしまうことが、最近、頻繁に発生するという。認知症の母親と済州島に旅行に行き、捨ててきたという話もある。現代版高麗葬の主人公は、大田の有名な病院の院長であった。迷子になった老人を警察が保護し、家に帰すために子の名を聞いた。ところが、その親は子の名前を最後まで言わなかったという。子が自分のために社会的に恥辱を受け苦労することが心配で、どうしても子の名前を言うことができなかったのである。本当に感動的な母の愛である。

随分前に「公共の敵」という映画を見たことがある。その映画で、人間のクズのような息子が財産欲しさに親を殺害する場面があった。ところが、その息子が犯人であるという手がかりがなく、捜査は困難に直面した。その親が子供に殺されながらも、決定的な証拠となる子供の爪を飲み込んでしまったからである。息子が殺人犯として逮捕されることを恐れ、母親は死んでも死力を尽くして自分を殺害した息子の痕跡を隠したのである。

このような子に対する母親の愛を描いた作品は、一つ二つではない。子に対する犠牲的な愛を母親のいる者は経験している。だから私達はこのような話にとても共感する。母の子に対する犠牲的愛というものは、本来あるものである。誰かに教えられ、学ぶものではない。母親なら誰もが、そのように生きるよう創造されているのである。そのために母情を自ら否定し、子を捨てる母こそ、世界で最も不幸な母親である。

真のお母様が罠に掛かったということは、まさにこのような根本的な愛の関係がずれていることを意味する。これは外部の影響によって発生したものである。私達は、真のお母様をめぐる指導者の正体について明らかに知るべきである。真のお母様を囲んでいる体制の上にいる指導者をはじめ、その行動隊員としての役割を自任している信対委などの主張を聞くと、彼らがどれほど真のお母様を窮地に追い込んでいるかを知ることができる。

彼らは以下のように述べている。顯進様は真の父母様に従わず、財産を盗み、郭グループと呼ばれる反摂理的団体を作った。したがって真の父母様は、顯進様のこのような行為を止めさせるために訴訟を起こしたという。真のお父様が亡くなったので、今は、訴訟の主体は真のお母様である。去る1月20日、真のお母様は「すべての訴訟を中断し、不必要な訴訟を起こした者たちは悔い改めなさい」と指示した。1万5千人の食口の前で原稿もなく震える声で語られた。しかし、体制の上にいる指導者とその周りの指導者は考えが違っていた。彼らは真のお母様のみ言を無視した。彼の解釈は、生前に真のお父様が宣布された宣言文を守らなければならないということであった。その宣言文の内容は「真の父母様がすべての訴訟の主体である」ということである。

果たして私達が信じる真の父母様は、法的・物理的な力で子を屈服させる方なのか。それは、神様を人類の親として、真の愛の主体と教える統一原理の教えに一致しているのか。真の愛とは、敵をも愛する精神であり、すべてを投入して為に生きる精神であり、復帰摂理は、真の愛による再創造摂理である。その例として、ヤコブがどのようにしてエソウを屈服させたかという教えがある。イエスが十字架上でどのようにして敵を愛する条件をたてたのかということが統一原理と如何に一致しているのかということである。また、6回も投獄されながらも敵を愛する精神を失わなかった真のお父様のレガシー(業績)とどこが一致しているのか。600冊以上の真のお父様の御言選集にある精神とどの部分に類似点があるか。

さらに、この訴訟において、親が訴えた子の無罪が証明された場合、その親は誰に頭を上げることができるだろうか。すでに告訴した側が敗訴し、有罪判決を受けているではないのか。

そうである。真のお母様が掛かった罠は、真のお母様だけでなく、真の家庭を根とするすべての祝福家庭と統一家全体に影響する。たとえ奇跡が起きて真のお母様が訴訟で勝ったとしても、すべてを失うことになる。それは、すなわち統一家が天の摂理の中心になることができた道徳的正当性である。道徳的正当性は、私達の命よりも重要である。そのため、今、私達は、死の罠に掛かったのである。

<明けの明星>

http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/20895

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