文國進理事長、「敗訴の責任を取って」解任は不道徳な責任転嫁の見本である

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する祝福中心家庭の皆様

お母様の「全ての訴訟を停止せよ」という命令に頑として従おうとしなかった文國進財団理事長が解任されたことは意義あることでした。しかし、その解任の理由として財団は「ヨイド裁判の敗訴の責任を取って」と公表していますが、これは非常に憂慮すべき言動であり、問題の本質を隠蔽することにしかなりません。

この問題に対する食口としての責任は何なのでしょうか。今回は上記の問題点を指摘し、食口達の喚起を促すインターネット上の記事をご紹介します。

それでは、皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

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文國進理事長、「敗訴の責任を取って」解任は
不道徳な責任転嫁の見本である
http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/20473

統一原理では、人間始祖の堕落によって生じた「堕落性」の一つに、自分の責任を他人に転嫁する「責任転嫁」を挙げている。堕落以来、神様はイチジクの葉で下半身を覆って木の後ろに隠れたアダムを呼んで堕落した理由の一部始終を聞かれた。アダムは自分は間違っておらず、エバの誘惑によって堕落したといい、エバは、蛇が賢くなるからと誘惑したせいだといった。悔い改めて反省したのではなく自分の罪を相手のせいにしたのである。

堕落した人間にはこのように、自分で責任を取ろうとはせず、他人に責任を擦り付ける性格がある。原理は、私達の内面にある堕落性を脱がなければならないと教えている。責任転嫁とは、自分で責任を取らなければならないことを他人に擦り付けるということである。責任転嫁の最大の問題は、自己の責任さえも相手に転嫁することによって相手に危害を加える行為であるという点にある。したがって、責任転嫁は堕落性本性である。相手のことを考える真の愛の立場とは正反対の自己中心的な利己的行為である。

24日、財団は文國進理事長を解任した。財団は解任の理由として「汝矣島訴訟の敗訴の責任を取って」とマスコミに公表した。全くとんでもない主張である。現統一教会指導部の厚顔無恥な不道徳さが続いていることを再確認できる内容である。文國進理事長が解任されたのは当然のことでありそこには何ら異議はない。しかし「敗訴の責任を取って」という表現は、不適切な用語選択である。これは、国語力が不足して起こった現象ではなく道徳性欠如の故に生じた現象である。

解任理由は「敗訴の責任によるもの」ではなく「訴訟の責任」を取って、とならなければならない。敗訴したことが問題ではなく、訴訟を起こしたこと自体が問題であるからである。お家騒動において発生した問題は、常識的な対話によって円満に解決されなければならない。急がば回れ、時間をかけて解決しようとしたならば解決できた問題であった。ところが、無理に訴訟を進めた。訴訟がもたらしたひどい結果は、敗訴に伴う金銭的なものだけではない。私達の運動のイメージはひどく壊れ、教会は宝舟のような食口共同体の真の愛の文化を失った。世界救援の意欲と力を失ってしまったのである。これは敗訴が呼んだ問題ではなく、訴訟がもたらした結果なのである。つまり、問題の本質は勝たなければならない訴訟で敗訴したのではなく、訴訟そのものだったのである。

ところで、このように明らかな本質的問題を、何故、遠まわしに「敗訴の責任」と規定しなければならなかったのだろうか。これは卑劣な手口である。そうすることによって、文國進理事長だけを犠牲にすることができるからである。彼らは訴訟を共に起こしたが、敗訴は文國進理事長が責任を取るという論理を展開しているのである。いったい誰が誰に責任を問うことができるだろうか。当然、責任は取らなければならず、責任を問う必要があれば問わなければならない。しかし、本当に現統一家の指導部には、文國進理事長に責任を問うことができる資格があるのだろうか。責任を取るべき立場にある者が、むしろ誰かに責任を問うことは「責任転嫁行為」である。その責任転嫁行為の典型を見てみることにしよう。

敗訴の責任を問い解任したという内容の報道資料を配布した者は、他でもない最近まで文國進理事長を助けて財団で広報業務を担当していた者である。そして、もっと見苦しいのは、文國進理事長の中枢参謀として、教会構造の調整と教会長による忠誠の誓いのビデオ撮影を強行した前協会企画調整室長が、財団の事務総長に昇進したということである。彼らは文國進理事長のおかげで高額の年収と高級車の支給受け、狐假虎威(虎の威を借る狐)をしていた人達である。彼らには良心はおろか、最低限の人間としての義理すらあるのか聞いてみたい。

それだけではない。真のお父様が訴訟を許可するようにしむけ、真のお父様が法廷陳述書に印鑑までも押すようにし、真のお父様がすべての訴訟を許可したので進行しているという宣言文を受け取って、全世界の食口の前で、厳粛に大きな声で朗読した真のお父様の補佐官がいる。彼は、真の子女様の家庭教師としてイーストガーデンに入り、真の家庭に侍ってきた人物である。彼は今、自分が嘗て教えた真の子女様が皆追い出され、自分が補佐していた真の家庭が粉々になった状況で、すべての組織体制の上に立った。彼は現在、米国UCI訴訟は勝訴できるとし国際的な訴訟戦を積極的に進めている。

このような状況で、一体、誰が誰の責任を追及できるのだろうか。結局、状況を総合してみると、訴訟できる良い環境を作ったものの訴訟に失敗し敗訴したのですべてのことを文國進理事長が責任を取りなさいという論理を、彼らは展開しているのである。まさにこのような点から、彼らは「訴訟の責任」ではなく「敗訴の責任」という言葉を非常に慎重に選択して用いている。彼らは自分たちの責任さえも文國進理事長に押し付けて、自分たちは免罪符を受け、さらに文國進理事長が責任を持っていた財団も、自分たちの戦利品として報酬を受けたのである。このような行為は不道徳な責任転嫁の典型である。

残念なことに彼らは、自分たちの道徳性が完全に底抜けになるまで行動し続けるものと思われる。しかし、その行動のゴールは他でもなく破滅であるということを、今からでも気づいてくれればと思う。天と霊界が生きていれば、決してこのような光景をいつまでも黙って見ていることはないだろうし、食口もいつまでも沈黙を守るはずはないだろう。

<夜明けの星>

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