危険な裁判を停止させるのは誰の責任だとお考えですか?

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する祝福中心家庭の皆様

既に何度も多くの人々から訴えられてきたことですが、アメリカでのUCIに対する裁判は、いざ本格的に開始された場合にはお母様を証言台に引きずり出すのに止まらず、第二のダンベリーともなり得る非常な危険性を孕んだ裁判であることを皆様にもう一度お伝えしたいと思います。

全ての裁判停止をお母様ご自身が1月20日に訴えられたにも拘らず、「全ての制度の上に立つ方」を中心とする現指導部がそのみ言葉を不信し、実行に移さないという状況の中で、万が一最悪の事態が訪れた場合、それは自分とは関係のないこと、自分は教会長の言うことに従っていただけ、という言い訳が通用すると皆様は本気で思っておられますか。

考えてみてください。自分の親が牢獄に行くかどうかという深刻な場面に直面して平気でいられるような子供がいるでしょうか。微力であろうと自分の犠牲にできるものを全て犠牲にしても親を守ろうとするのが子女というものではないでしょうか。祝福家庭は、ただ「アベルの言うことに従っていた」ということで、自動的に天国に入っていくなどという考えを今でも持っていらっしゃるのでしょうか。

イエスを十字架にかけた罪が「選民」に対してどのような影響を及ぼしたかについては言及するまでもないでしょう。「選民」であるという事実により、「私は知らなかった」といくら叫んでみたところで、冷酷な歴史の道理の要求を避けて通ることのできた人はいなかったのです。ましてや私達は「祝福中心家庭」という親と子の関係を結んだ立場です。

現在進行中の上部の指導者達の歴史的な犯罪行為に対して、見ても見ぬふりをして過ごしてしまい、その結果として歴史の審判台の前に立つようになった時に、皆様の先祖と後孫の前にどのような姿をもって立つようになるのか考えてみられましたか。

以上のような深刻な憂慮を感じながら、今回は皆様のご参考に再び別のブログ記事から引用致します。

それでは皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

—————————————–

ペテロ(Peter)よ!真のお父様が不法行為の教唆者だというのか

http://ameblo.jp/gildong/entry-11490029545.html

パイオニアカフェに投稿された記事を引用します。昨日の記事で、公判での答弁から2000年前に律法学者やパリサイ派がイエスに質問する場面を思い浮かべましたことを書きましたが、この記事も2000年前の問答に言及しています。
—————————————–

ペテロ(Peter)よ!真のお父様が不法行為の教唆者だというのか

http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/20268

去る3月6日と8日、一つの事件について二回に及ぶ異なる刑事裁判が行われた。6日にあった公判は、WTA(ワシントン・タイムズ航空社)の資金送金に対する外国為替法違反に関する控訴審であった。ソウル地裁は、宣教会財団金◯律氏に対して有罪判決を下し、法定最高刑の罰金3千万ウォンと231億ウォンの追徴金を宣告したが、この判決を不服として被告は控訴し、それに対する控訴審公判が行われた日であった。そして8日、検察はWTAの資金送金が朱◯文前社長と金◯律宣教会財団事務総長の共謀により行われた特定経済加重処罰法違反で起訴され、検察側の最後の証人による証言があった公判であった。

この二つの事件は、二人が法的責任を逃れる重要な主張として掲げたのは、まさに「真のお父様の指示」によるものであったということである。自分達は真のお父様の指示に従った罪しかない、というのが彼らの論理の中心であった。おそらく、真のお父様が聖和されたので『死人に口なし』という考えで、このような主張に及んだのではないかと思われるほどである。しかし彼らは、真のお父様が生きておられた時も、米国であろうが韓国での裁判であろうが、このような主張を一貫して通してきた。真のお父様が振るまいにご不自由な為、自分達の報告だけを頼りにしているという事実を悪用したのだ。

おそらく、彼らの法廷での主張は、真のお父様が生きておられたならば、真のお父様を法廷の証言台に立たせたり、または真のお父様に、このすべての法的責任を負わなければならない立場に立てる可能性もあるという恐ろしいものであった。しかしこれよりも、彼らの主張が深刻なものである理由は、彼らは「真のお父様を不法を煽る方」と証言しているということである。これは私的な場で行われたものではなく、すべての発言が公式的な記録として残る法廷で行われたことにその深刻さがある。

もし聖書に、イエスがイエスの弟子たちに不法を指示したと記録されていたらどうだろう。人々はイエスをメシア、救世主、キリストとして信じただろうか。イエスを中心とした霊的救いの摂理が可能だったろうか。

イエスに、ある弟子が当時ローマに納める税についての質問をした。税金を納めることが正しいことなのかという質問に、イエスは「カイザルのものはカイザルに」という回答をされた。ローマではローマ法に従えということを意味する。本当に知恵深く賢明な回答ではないか。もしイエスが、すべてのものは神様のものなので神様のみに捧げよと言ったらどうだっただろうか。彼は、復帰摂理のみ旨を成すにはほど遠く、脱税を主張するローマの反逆者として殺到され、何も成就できない立場に立たされたことであろう。

イエスの弟子であったペテロは「あなたは、わたしを誰だと言うのか」という質問に「主は、生ける神の息子でありキリストです」と言った。今日、真の父母様の弟子の中でペテロ(Peter)と同じ名前を持つ者が「あなたは、私に違法を指示した」と証言している。ポンテオ・ピラトの法廷にイエスを売ったイスカリオテのユダは、イエスがユダヤの王を僭称していると証言した。ユダヤの法と伝統を無視するという証言をしたのである。イエスがポンテオ・ピラトの法廷で弟子の手によって売られたように「背任を煽る方」として真のお父様の名前が、彼らを弁護する弁護士の口から出たのである。

その日、動員された教区長らはこの光景を目撃した。これでも沈黙することができるだろうか。そうであるならば、彼らも悪の共謀者である。

「ペテロ(Peter)よ!」
「高い弁護士を用いて自分の罪を覆い隠さずに、むしろ天の前に許しを求めてはどうだ」

<セビョクビョル>

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。