「恩赦」は良心に勝るか

「祝福中心家庭有志の声からの受信メールを掲載します。」

基元節を迎えるために、もう一度神様王権即位式でのお父様のみことばの原点に戻ろうという記事を再びブログ村からご紹介します。後半部に実際のみことばからの引用があります。

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「恩赦」は良心に勝るか

http://ameblo.jp/gildong/entry-11468597184.html

前回記事は、神様王権即位式を起点とした摂理的状況から現状を見たとき、閉鎖的な教団内での自己の恩赦という矮小化された聖酒式が、文先生が本来意図された内容が全く果たされていない中で、どれほどの意味を持つのか、という点に関するものでした。

私見では、何の意味もないと考えますが、そこに意義を見出せる方の参加をどうこう言うつもりはありません。むしろ価値がないから、そこに生活を賭ける価値もない、という議論も成り立つかも知れません。

しかし、紛れもなく確かなことは「恩赦」は罪人にのみ必要であって健常者には必要ないということです。

不思議に思うのは、統一教会に通う人はそんなに罪深いのかということです。年がら年中、祈願書で贖罪していたようですが、それは無意味だったのか。それとも、毎日のように犯罪行為を犯して罪の意識に苦しんでいるのか。ならば、祝福やそれまでの信仰はそんなにも無意味で無力なものなのか。日々の生活の中で神様の心情と出会い愛されている実感はないのか。

食口に根拠無く罪を強調して恐怖を植え付ける公職者たちは、毎日のように人権蹂躙しているうえ、公金も濫用していますから、三大鉄則に常時引っ掛かっていると言えます(中略)

神様王権即位式のみ言を読み直せ、と言いたいですね。

お父様は「死守しろ」と最低ラインを示されたに過ぎません。「死守しろ」と言われてできなければ、「死ね」ということです。

決して目標としてではなく、それを死守できないのは論外、問題外なだけです。アダムエバは戒めを守れませんでした・・では恩赦しましょう・・でしたか?神様は六千年を耐え忍んで干渉しない道を選ばれたのではないでしょうか。

だからお父様は「今からどんなことがあっても死守しろ」と語られました。12年前に「これからは許しのない法の即決時代」と語られたのです。見当違いも甚だしい。基元節の意味にそぐわないと思いませんか。

さらに確かなことは、「恩赦」は完成とは関係ないということです。

天一国12年は、家庭次元では祝福の完成を目指す期間だった筈です。「第2の真の父母となれ」とは、あなた方も全き者となりなさいという意味であり、さらに、救いを周辺に連結できるものとなることを求ている筈です。完成を目指すべき人々が「恩赦」に喜んでどうしろというのでしょうか。

霊界の文先生は頭を抱えて途方に暮れていることでしょう。「恩赦」が必要ということは、完成には程遠いということです。

統一教の公職者達は、完成を目指したのかどうかも疑わしい。(中略)

公金を不正蓄財しまくった極悪人たちは、全財産を食口の借金返済に献げても「恩赦」を口にできないだろう。

まだ多額の借金を抱えている食口の皆さんは、地獄の門口に立つ可哀想な公職者たちのために、献金返還運動(あるいは献金返還訴訟)を起こすべきだと思います。彼ら公職者が一文無しになり、罪を悔い改めてから霊界に行くようになれば、彼らの先祖や後孫も感謝こそすれ、恨むことはなでしょう。

私腹を肥やすために文先生を騙し、非業の死に追いやった幹部達は、恩赦の聖酒を腹が裂けるほど飲んでも、断末魔の苦しみを逃れることはできない。そういう状態を一般に「地獄」と言います。

良心の声に耳を塞ぎ、食口の運命を狂人の手に委ねて生きる公職者は、霊界の入口で「あれを見ろ」と指差されるでしょう。しかし、彼らは、そこでは決してそれに答えることができない。答えは、地上で出すのが原理だからです。無知に完成も恩赦もない。自分の良心がそれを許せないでしょう。

お父様は「恩赦」は良心に勝ると教えましたか?

天国を作るどころか、地獄(罪人が住む所)を作りだし、地獄に入籍して、恩赦の聖酒を飲んでも、気休めにもならないでしょう。

いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである(黙22/14)。

特権(祝福)だけでは完成はありません。自分の着物を洗う(責任分担完遂、堕落性を脱ぐ)ことに意味がある筈です。

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今から守るべき鉄則とは、

第一に、死ぬようなことがあったとしても血統を汚すなということです。

何の話か分かるでしょう。

第二に、人事措置を誤って人権を蹂躙するなということです。

男性であれ女性であれ、黒人であれ白人であれ、平等です。人権を差別したり、人権を蹂躙したりするなということです。責任者たちは自分と気が合わないといって、むやみに人事措置をしてはいけません。気が合わないといってむやみにはできません。

教会の幹部たちよりも、先祖が善なる人はいくらでもいます。何代もたたずして大統領になる家門の人の首を切ってしまえば、自分の先祖ががらがらとすべて崩れます。ですから、先生は、人事措置をあまりしません。上のほうの人たちを人事するときはくじ引きでします。人権を蹂躙するなというのです。

先生は、どこに行っても、黒人だといって差別したり、出身大学で何かを決定したりはしません。人権を正しく指導するには、真の愛、「ため」に生きる愛をもって暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想を乱してしまうことは、許すことができません。罪の中で二番目の罪です。

第三に、公金を盗むな、公金を自分勝手に使うなということです。

以上、三つです。監獄に入ってみると、そこにいる人の七〇パーセント以上が、これらのことゆえに監獄にいるのです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っ掛かっています。それから、金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったというのです。

逆賊として追われて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこにおいても自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださるよう願います。これを標語として定めるのです。

三〇〇〇年の標語の中で、純潔な血統、人権の平準化、それから国家の公的財産の略取、その次には父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうというのです。村全体の人が「あの人に従っていかなければならない」、「あの人のようになりたい。共に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。

きょう、神様の王権即位式で宣布した一番重要な三大鉄則をお話ししました。それは、私たち人間が公人として必ず守らなければならないことであり、家庭に入っていこうと、国に入っていこうと、絶対に引っ掛からない指針です。

この日に十分記憶するに値する内容であることを肝に銘じ、生涯の目標としてくださるよう願います。成約時代においては、天上世界をはっきりと知らなければなりません。

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この内容は、一般社会でも良識ある人なら当たり前のことです。

そのような当たり前のことを、強調しなければならないほど、統一教会の(特に公職者の)倫理観は低く、文化レベルが低いということです。

なぜそれ程までに低俗化したのでしょうか。

その元凶はアベルカインなどのドグマ(偽原理)です。統一教会は未だにドグマに支配されており、それを改善するつもりは毛頭ありません。取税人のように低俗な公職者と、彼らがぶら下げるニンジン(聖酒、祈願書など)を追い続ける人々によって作り出される低俗ワールドにおいては、家庭盟誓は意味のない念仏に過ぎません。

公職者が偽原理に基づく「アベルカインシステム」を利用して貪る暴利、不労所得が、幹部達の権力欲を刺激し、彼らを一層堕落させ、三大鉄則ブレーカーズを作りました。ゴミクズのような彼らは、今また「恩赦」をエサに140万を略取しようとしているのです。

三大鉄則が、イエスの十字架以来2000年ぶりの再臨摂理に関連する集団の、こともあろうに「神様王権即位式」、天一国の出発に及んで言及され無ければならないこと自体が、神様の悲しみであったのに、それから12年を経た今、そこから、ただの一歩の進歩も無いまま、基元節聖酒式の「恩赦」として語られることが、どれほど呆れたことでしょうか。

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