基元節に対して準備ができていますか?

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する祝福中心家庭の皆様

基元節の日が近づく中で、教会からはその意義として「実体的天一国の始まり」であり「神様の夢、創造理想が完成、完結、完了する日」であると説明されながらも、現実的には一教団の主催する教団内での結婚儀式と聖酒を飲むことによる恩赦儀式になってしまっています。ただ説明としては「復帰摂理歴史を総体的に決算する最初で最後の、ただ一回だけの恩賜」であり、「神様が天地人真の父母様の3度目の聖婚式を通して地上に実体で顕現される日」であり、人類が「神様の子女として永遠に『生命録』に記録される日」と壮大な解説がされながら、その二度とない日に参加できるというチャンスを決して逃してはならない、という点が強調されています。

しかも3度の結婚の意義に関しては公式的に家庭連合世界会長のメッセージとして「3度の結婚式を通して神様の3つの悲しみである『霊的堕落』『肉的堕落』『イエス様が新婦を迎えられなかった悲しみ』を完全に蕩減してしまうものである」とする、あたかもお父様が基元節前に亡くならなければならなかったと宣言しているような不思議な解説がされています。(参考:この点に関し簡潔に触れているブログ記事 http://ameblo.jp/pacificera/entry-11456223971.html

真の家庭の拡大家庭の一員である祝福中心家庭の私達が、そのような儀式にただ参加することが本当にお父様の願っておられた基元節の姿なのか、それとも今こそお父様の願われた基元節とはなんであったのかを真剣に求めながら、それを実現しようとする道を行くのか、自分の責任と自分の自由意志により決断すべき時を迎えていると思われます。

たとえばみ言葉によれば基元節を迎えるために必要とされる内容は少なくとも以下のようなものが挙げられます。

*神様の主権が実体的に定着して認められなければならない

*アベルUNとカインUNが一つになって父母UNとならなければならない。

*真の父母、真の家庭を中心とした祝福家庭が立ち、万民が祝福家庭となる道が開かれなければならない

とくに、主権ということに関しては、その神主権の国の下で一日だけでも暮らしてから霊界に行かねばならないというのが一生の願いである、と語られたことさえあります。

今回は、基元節を前にして本当に私達はその日を迎えられる姿になっているのかについてみ言葉を土台としながら問題を提起している、あるブログ記事からご紹介します。

それでは皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

基元節に関するブログの記事より引用

http://ameblo.jp/pacificera/entry-11458336486.html

「平和メッセージ」は、基元節に関連してとても重要な内容が沢山あるのですが、いずれどなたかが、整理して講義にでもなさるかもしれません。

ここでは、今思うがままに、御言葉の内容に照らしあわして、振り返るのための質問を提示してみたいと思います。

「神様は確実に存在され、万人の父母として、今も生きて創造のみ業を継続して、(中略)御自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。」

摂理の主人は神様であられるのですが、統一教会では摂理の主人は神様ですか、それとも文先生夫妻になっていますか?神様が太初に立てられた天理原則とは何ですか?

「相対のために存在するという原則に自らの理想的出発点を置かれたのです。言い換えると、神様が願われた相対のために真の愛を実践する事が、神様の創造のみ業を出発した核心だったのです。したがって、神様の子女である人間の責任は、何よりもまず神様に似る事です。」

統一教会では真の愛、為に生きる事が実践されているでしょうか、それとも、政治的自己中心的利害が先行しているでしょうか?統一教会員の姿は、神様に似ているでしょうか?

「天国に入るのに絶対に必要な条件が、まさに為に生きる人生、すなわち真の愛の人生なのです。」

統一教会では、天国に入る絶対に必要な条件は「為に生きる人生」、真の愛の人生だ、と理解されていますか、それともそれ以外のもの、例えば、統一教会員である事、聖酒式に参加する事、「中心者」に従う事だ、などと思われていないですか?

「神様が縦的に良心的な主体になり、皆様の心は、その縦的主体に従って自分自身の縦的主体の立場に立って、心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。」

統一教会では「良心」に従うのではなく、「中心者」に従っているのではありませんか?四大愛圏はどこにありますか?本当にあると思いますか?もし「世界がこのような真の家庭で満ちるならば、そこには弁護士も、検事も、更には判事も必要がなく」とあるのです。統一教会の中は裁判で満ちているのに、四大愛圏があると言えますか?

「神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、即ち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには神様の祖国、理想国家も出現するのです。」

統一教会では、文先生のお子さん達を見捨ててはいませんか?「ああ、このような問題がある、あのような問題がある」と見捨てていませんか?血統の意味と価値を見失っていませんか?

「祖父母、父母、孫と孫娘を中心として三代が一つの家庭で、永存さされる神様に侍ってくらす天一国家庭」

最低、三代が必要なのでしょう?二代目である文先生のお子様達が追い出されている、あるいはサタン視されているのに、三代に連結するのでしょうか?

「天の側のアベル圏が天宙的次元でカイン圏を消化し、本然の創造理想的権限である天の全権を持って新天新地、すなわち地上・天上天国創建に向けて新たに出発すべき時」

統一教会はアベル圏のはずですか、カイン圏のはずですか?アベル圏だとしたら、それにふさわしい姿を備えているでしょうか?そして、カイン圏を消化しているでしょうか?

「人種、文化、宗教、国家の壁を崩し」

統一教会で人種差別はないですか?文化と国家の壁を崩す見本になれていますか?宗教の壁を崩す見本になれていますか?それとも、自分達の宗教こそが最高の宗教である、とどの宗教も主張し、どの宗教間の争いでも火種になっている事を繰り返していないですか?

まだまだ、継続する事ができるのですが、このあたりで止めておきます。

「平和メッセージ」は、基元節を迎えることが出来る姿がどうか、振り返るのに良い内容が沢山あります。

「1月13日」という日が出てくる出発点は、2001年にあるはずです。2001年の決意と目標は、「平和メッセージ」でより一層明確にされていたはずです。その解釈が捻じ曲げられていないですか?

(記事引用終わり)

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。