現指導層に「後継者文亨進」を異端定罪する資格はあるか

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現指導層に「後継者文亨進」を異端定罪する資格はあるか

http://ameblo.jp/gildong/entry-11450758199.html

パイオニアカフェに投稿された記事を引用します。原文のタイトルを直訳すると下記に付されている通りですが、文書の内容を反映させるならば、次のようになるでしょう。

「後継者文亨進」の看板を利用してきた現指導層に「後継者文亨進」を「異端定罪」する資格はない!

つまり、現指導層が文亨進氏に見ていたものは、「後継者」の看板だけであり、既に文総裁が聖和され、「後継者」の看板に隠れる必要がなくなった今、思想的に??な文亨進氏や「統一教」の看板は要らないということでしょう。

しかし、これは決して幹部達の「変節」ではありません。ひたすら権力に寄り添ってきた幹部達の不変なる姿であり、聖和された文先生が、何度変えようとしても、変えることができず、結局は統一教会を滅ぼし、ご自身の寿命を縮めることになった元凶でしょう。

彼らが統一教を略取するために打ち上げ続けた20近くの訴訟の矢が、敗訴・多額の賠償金・有罪判決・という形で、彼ら自身に降りかかるのは、もはや時間の問題・・という状況になって来ました。

文亨進氏が語った「罪人・奴隷」は、ある意味において、オールカインになった非原理的教会の実情を良く言い当てた言葉でしたが、今後、また別の意味で・・・指導層が有罪判決を受けた罪人・・・という意味で、統一教会の未来の姿を予言した言葉になるのではないか、そんな予感さえします。

以下、引用します。

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後継者文亨進に対し「異端定罪」する資格は誰にもない!

http://cafe.daum.net/W-CARPKorea/cSkJ/19636

真のお母様が、基元節を迎える前に『統一教』から『世界平和統一家庭連合』の時代に再び戻すという指示を下された。故に、統一教のホームページ、協会の建物に掛かっている統一教の看板をはじめ、全国の教会の看板を全て交換しなければならない。看板の値段だけも、教会が年末助け合い募金で集めた額よりも多くなりそうだ。

ここ数年の統一教時代は、明らかに真のお父様が立てられた家庭連合時代とは違うものだった。真のお父様が生きておられたにもかかわらず、堂々と非摂理的な事が起こった。牧師たちは、真のお父様が立てられた後継者のために、無条件に従うという『忠誠の誓い』のビデオを撮らなければならなかった。容赦のない忠誠の誓いには、家庭連合の看板を外して、統一教の看板をかかげる事も含まれていた。原理を立てるという変な儀式もあり、振動を送るという聖霊治癒礼拝もあった。黄金で作った真の父母像と天聖経を入れる天福箱もあった。そのうえに、有効期間1年の天聖塩と、教会の前庭につるした祈願成就の天福灯などもあった。また、顯進様をサタンとして審判する事も行われた。真のお父様が立てて下さった後継者に従って、絶対信仰、絶対服従の信仰姿勢を見せることが全食口に求められた。

ところが、真のお父様の聖和式が終わるやいなや、その『後継者』は、米国責任者として発令された。彼が何年も努力して作ってきた、天福宮の礼拝形式は一挙に廃止された。今や、天福宮に彼の痕跡は残っていない。

挙句の果てに、真のお母様は『統一教』ではなく『家庭連合』の時代に再び戻ると宣言された。これは単なる名称の変更として、軽視し移行すべきものではない。真のお父様が、統一教時代から家庭連合時代に入るとされた時、ただ団体の名前を変えたわけではなかった。真のお父様は、これを天宙史的変化だと言われた。ところが文亨進様は、その家庭連合を統一教に変えたのだ。彼は三時代の区分でこれを説明した。真のお父様の教えとは異なり、統一教が完成的摂理であると主張し、全世界の摂理の動きを自分の考えに従うようにした。ところが後継者『文亨進様』は、他でもない真のお母様によって『異端非難』を受けたのだ。つまり、家庭連合から統一教への逆行は、真のお父様がなされた天宙史的変化に逆行した結果となったことになる。

従って、これは深刻な異端的行為となるのである。真のお母様が、再び家庭連合に戻ると言われたみ言の意味は、非常に深刻である。ともすると、後継者としての波紋宣告を受けたのも同然である。再び後継者の位置に立って摂理を導いて行くには、彼が歩んで来た足跡は余りにも深くえぐられている。

ところで、ここで不思議な光景が目撃される。文亨進様を後継者に立てる為に、あれ程彼を賛美して心血を注いだ指導者たちが、いつの間にか彼を非難する立場に立っている。

彼らは、家庭連合が正しいと大声で叫んだ。お母様の指示が、しかるべきだというのだ。それならば、彼らは過去4年間どこに行っていたのか。彼らは皆、目をつぶっていたのか。それとも、猿ぐつわをかまされて、話をする事ができなかったのか。彼らは皆、統一教の看板が掛けられる時、拍手して歓迎した人々である。少なくとも、何も言わず沈黙していた人々である。

果たして彼らが指導者としてふさわしいだろうか。果たして彼らが道徳的な指導者だろうか。原理と摂理の原則が崩れる時に沈黙して、自分たちの利益の為に利用した指導者たちも審判の対象である。基元節は、美しく華やかなウェディングドレスを着て歌って踊るべき時ではなく、粗布の服をまとって、涙で悔い改めなければならない時なのだ。

<セビョク・ビョル>

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