国進様のフリーダム・ソサエティー‏

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する祝福中心家庭の皆様

現在米国では亨進様による地域巡回が行われている中、韓国での国進様の辞任に関するいざこざや、亨進様の学歴詐称疑惑、仁進様からの声明文など、余りにも多くの問題が噴出しています。今回は、以前カープカフェに出されておりました国進様のフリーダム・ソサエティーに関する論文の修正版が最近出されましたのでお伝えしておきます。

それでは皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

国進様のフリーダム・ソサエティー

 

国進様は、韓国で「自由社会:神様の理想世界建設へのビジョン」(Freedom Society: A Vision for Building God’s Ideal World)という講演をされ、7月1日にはロンドンで同じテーマで講演(http://vimeo.com/45371246)をされた。その後、アメリカ各地で講演されている。

国進様はそこで、「私達は、真の御父母様が使命を完遂された、理想世界の基盤作りは終わったという(が)、天一国がいかなるものか説明できずにいる」ことを明らかにし、「天国の政治や経済」そして「天国の構造」について説明しようとされている。その勇気には、誰しもが称賛を惜しまないだろう。

しかし、その主張にはいくつか疑問な点もある。以下、国進様のスピーチの問題点を指摘し、より一層創造的なビジョンが打ち出されるのを期待したい。

 

1、国進様のビジョン

国進様は、「お父様が話される、良心に従って法律もなく、弁護士、検事、裁判官も必要ない世界」を「良心社会」と呼び、それに非常に近い社会は、「自律社会(自己規制社会)」であり、「責任社会」だという。

まず、「自律社会」を実現するのに必要な要素は、「第一番目が私有財産、第二番目が自由市場、第三番目が競争」だと規定している。その三要素があれば、「競争という環境のなかで、より効果的な出費と安い経費でより良い品質の商品やサービスを提供することのできる団体だけが継続して生存することができる。(そこには)法律も無く、警察も無く、私にどうしろと言う政府も無い社会が可能なのです。…政府が社会を支配する中では、富の産出や技術発展は全くあり得ず、むしろ自由と自由経済こそがその全ての富を創り上げた」と述べている。

国進様は、「われわれは、エデンの園で堕落直前の状況と非常に似た段階までやってきました。自由は今日、普及拡大していますが、不安定であり、その自由は危険にさらされている」と警鐘をならしています。ここで国進様は、「アダムとエバは世界の国民」であり、「天使長は政府」だ、そして国民の自由を奪うのは、この天使長である政府だというのです。その政府が、国民から自由を奪い、「僕の立場から、主人の立場に置き換わる」方法は、国進様によれば次の二つです。

一つは「人気至上主義(ポピュリズム)」。国進様は、アテネ、ローマ、アルゼンチン、ベネズエラといった「歴史的事例」をあげながら、いつも指導者達は、民衆受けの良い「貧しい人たちを助け、食事を与え、社会を平等にしよう」などと呼びかけながら、「その人気至上主義が民主主義の終焉を招き、やがて専制や独裁制が民主主義に取って代わった」と説明しています。なぜ政府が嘘をつくのかというと、それは「政府が天使長であり、サタンだから」というのです。(ある日本語訳では、この「政府がサタン」という部分が意図的にか翻訳されていない。)

国進様によれば、「無政府状態を防ぐために、最小限度の政府は必要」ですが、理想的な政府は「18世紀から19世紀の初期までの、アメリカ連邦政府の国内総生産に対して占める割合がわずか2%以下」だったというような「小さい政府」であり、「アメリカの歴史上、ほとんどの期間に所得税は存在しませんでした」とあるように、最小限度の税金しか取らない政府です。

この理想的な状態を破壊したのが、福祉国家という「大きな政府」です。「『社会福祉は慈悲である』と叫びながら、人々に福祉に頼るようにして、社会福祉国家を創り上げるために後押し(して)、アメリカの自由を破壊したのは宗教(キリスト教)だ」。それはキリスト教がイエスの十字架によって、霊的救援だけで、地上天国を実現できない宗教となったからだというのです。

もう一つは「暴力」です。「政府はどのような手段を使って国民を奴隷にしますか?」と国進様は問いかけ、「暴力行使の独占的所有、常備軍、フルタイム警察の暴力行使といったものです」と答えています。

それゆえ、「もし皆さんが天国を創建したいと願うならば、神様の意図が、天国の国民が、権力の方向性と武器使用も含め、すべてのものを所有するということであったと理解しなければなりません」と述べ、政府が軍や警察といった暴力装置を独占しないように、「天国では、みな成人ともなれば、公共の福祉を守るために、その銃を携帯し」、「平和警察」「平和軍」として責任を果たさなければならない。「地上天国とは、自由人がすべてを所有し、第三祝福を完成させ、自由人が内的および外的な保安の警備をし、自分の所有に関して確信を持ち、責任を回避しない、そのような社会なのです。それが自由社会であり、責任社会なのです。」

そして、国進様は、その自由社会は「新しい宗教と再臨主の教え」によってのみ維持されると述べている。

 

2、亨進様の賛美

亨進様は、最近の説教(http://vimeo.com/45835320)で、国進様のアイディア(フリーダム・ソサエティ)を賛美しています。

というのは、亨進様自身が「統一教会が世界の方向を変えるとの約束を実現することができず、摂理が延長されたこと。共産主義は克服することができたが、次に何が起こるべきか明確にこたえることができなかった」ことに葛藤していたからです。

また、「お父様は理想世界を語り、国境もなく、法律もなく、良心によって生きる、家庭を中心として、信仰により、信頼し、弁護士も判事もいない世界、軍も警察もない世界。これを聞いた時、『不可能だ。そのような国や世界はできない』と思いました」というのです。

さらに、「統一教会に政治力があれば、どのような国を造るでしょうか。お父様の過去の御言を分析すれば、左寄りになります。共産主義と社会主義的な政治的思考になります。だから、私(亨進様)には何の希望も持つことができませんでした。社会主義や独裁、そんな国には住みたくありません。あなた達もそのような国に住みたくないでしょう?なぜでしょうか。それは誰もが自由を求める本心があるからです」と述べています。

ところが、「国進兄様が経済や政治的システムを分析し、政府は天使長と同じように、神の息子娘の僕の立場だ」ということを見出しました。そして、「国進兄様は、歴史を学び、自由と民主主義が、天使長である政府の大衆迎合主義によって失われ、独裁に変わっていった」ことを明らかにしたのです。

この大衆迎合主義(人気至上主義)の政府について、亨進様は、国進様にならって次のように批判しています。「誰が家庭を破壊しましたか。天使長です。政府の社会福祉は、障害者を保護するとか甘い言葉を語ります。妻は離婚して初めて、社会福祉の恩恵を受けるのです。何人の男と寝てもかまわない、より多くの子供がいれば、もっと多くのお金をもらえると、政府(天使長)は離婚とフリーセックスの文化を助長したのです。」

だから「原理の秘密、政府が天使長の位置で働くということがわかれば、アダムとエバは最高の自由の中で生きるべきだ。政府(天使長)の社会福祉がなければ、家族関係がもっと大切になり、人々が互いに助け合い、お互いに責任を持つような社会になる。そのような社会では、人々は天一国の主人となり、平和軍や平和警察に参加し、すべての人の平和と自由を守る」ようになる。

そして「政府というものは、常に拡張したい性格です。だから米国の初期においても、人々に銃を持っていなさいと言ったのです。トマス・ジェファーソンは『政府が大きくなり過ぎないように、30年ごとに政府に対する革命があるべきだ』といった」というのです。

 

3、原理的政府の役割

「政府が天使長、あるいはサタン」であるかどうか、原理的観点から考えてみよう。

第一に、原理講論ははっきりと、「円熟した民主政体(民主主義政治体制)の社会にメシアが再臨されれば、地上天国を復帰することができるようになる」[i]と、民主主義的な政府をメシア再臨のための基盤、地上天国を復帰するために必要なものと述べている。

次に、原理講論は、民主主義政体を、カイン型の人生観に立脚したカイン型の民主主義と、アベル型の人生観に立脚したアベル型の民主主義に分けている。

文芸復興に端を発するカイン型の人生観によって、フランス革命が勃発し、カイン型の民主主義政体が樹立されたが、それは「個性の自由と平等よりも、全体主義へと転化される傾向性」があった。その結末が共産主義世界だった。[ii] 一方、宗教改革に端を発するアベル型の人生観は熱狂的なキリスト教徒をもたらし、彼らが信教の自由を求めてイギリスやアメリカで実現したのがアベル型の民主主義政体である。[iii]

統一思想でも、「民主主義は、民意によって再臨のメシアを迎えるために立てられた政治理念に過ぎないので、真なる自由・平等・博愛を実現しうる理念ではない」。そのため、「自由なき平等はなく、平等なき自由もありえない」にもかかわらず、自由民主主義が政治的に支えてきた資本主義は、「その構造的矛盾によって、富の格差、富の偏在を招いて、大多数の国民に経済的政治的な不平等、不自由をもたらした」と、現代民主主義を批判している(統一思想)[iv]。

2011年9月、「ウォール街を占拠せよ」と叫ぶ若者達のデモが、瞬く間に全米に広がったが、彼らは「We are 99%」というプラカードを掲げた。事実、トップ1%の富裕層がアメリカの国富の42%を所有し、次の富裕層の9%が38%、つまり富裕層10%で80%を所有している(Think Progress, Oct. 3, 2011)というのだから、貧富の格差に怒りが向けられるのも無理はない。

さらに、原理講論では、現在の政治体制は、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、行政、司法の三機関が調和を失い対立しているが、イエスが再臨すれば、神のみ旨を中心として本然の機能を完全に発揮できるようになる。頭脳から来る全ての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、キリストを中心とする聖徒(政党)を通じて社会全体に及ぶ[v]、と述べられている。

統一思想によれば、来るべき共生共栄共義の世界は、家庭では父母、学校では先生、団体の管理者(社長、団体長、国家元首)などの三大主体が、神の真の愛を絶えず与えれば、与えられた人々も相互に愛し合うことにより、全社会が「愛の園」「倫理社会」となる。この家庭倫理を拡大した「共義主義社会」の政治は、天父を中心とした「共栄主義」(兄弟主義)の政治となる。それは現在と同じ代議員選出を通じて、万人が参加する共同政治である。「共生主義」の経済は、「神の真なる愛に基づいた共同所有」であり、そこでは真の自由と平等な社会が実現される。

以上、民主主義政体は、メシアを迎えるために必要な政治体制であり、次の共生共栄共義社会を樹立するまでの過渡的なものである。その民主主義政体は、メシアを中心とする聖徒達が、真の愛の「倫理社会(共義社会)」を築くことによって、自由で平等な共栄主義、共生主義の社会に代えることができるし、しなければならないというのである。そのためには、万民が参加して代議員を選出し、政党を形成し、政府を樹立しなければならない。だから、その政府は、決して国民(アダム・エバ)に対立するような天使長ではない。

ただ、カイン型の民主主義が全体主義に流れやすい傾向はあるが、アベル型民主主義までも国民と対立する政府と捉えるのは誤りであろう。ましてや民主主義政府は、平和軍や平和警察で倒すべきものではない。

また、亨進様は、「お父様のみ言を分析すれば、共産主義的、社会主義的な政治的思考になる(ので)希望が持てない」というのは、お父様のみ言を誤解している。

そもそも、社会主義と共産主義は同じではない。さまざまな社会主義があるが、基本的には経済面の民主主義、平等を求める思想や運動である。それに対し共産主義は、無神論、唯物論に立脚して、共産主義革命によって共産党独裁を樹立し、その絶対権力によって私有財産を取り上げることにより、平等な社会を作り上げようという思想や運動のことである。

原理講論では、「神はあたかも我々人間の父母がその子供達に対するように、誰にも均等な環境と平等な生活条件を与えようとされるのである。…人間は、このような理想をもって創造されたので、…結局誰もがこのような社会主義的な生活体制を要求せざるを得ないようになる」(後編第4章第7節⑥)、そして「最後には、神を中心とする社会主義社会が現れる」とあるように、経済面の民主主義として、平等な生活環境を求める思想や運動を、社会主義が現れると言っているだけであって、「左寄り」でも「独裁」でもない

 

4、リバタリアニズム(自由至上主義)

アメリカには、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視し、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える自由至上主義、自由原理主義ともいうべき思想、リバタリアニズムがある。日本では新自由主義と称されることもある。

リバタリアニズムは、古典的自由主義と同様、レッセフェール(自由放任主義)を唱え、経済や社会に対する国家や政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張する。 また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制と福祉国家には強く反対する。なお、暴力、詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。

リバタリアニズムでは私的財産権もしくは私有財産制は、個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。…リバタリアンは『徴税』によって富を再分配する行為は公権力による強制的な財産の没収であると主張する。曰く、ビル・ゲイツやマイケル・ジョーダンから税金をたっぷり取り、彼らが努力によって正当に得た報酬を人々へ(勝手に)分配することは、たとえその使こが生活保護や高齢者医療補助などの道義的に正しいものであったとしても、それは権利の侵害以外の何物でもなく、そうした行為は彼らの意思によって行われなければならない。すなわち、貧困者への救済は国家の強制ではなく自発的な寄付によってのみ行われるべきだと主張する。(以上、ウィキペディア百科事典)

これを見れば、国進様や亨進様の「政府から自由な社会」、「貧困者の救済は国家の福祉ではなく、人々が互いに助け合う責任社会で」という考えは、限りなくリバタリアニズムに近いことがわかるだろう。

「これから『正義』の話をしよう」で有名になったマイケル・サンデル・ハーバード大学教授によれば、リバタリアニズムの考え方の根本的な原則は、「自分を所有するのは自分だという考え方、自己所有の考え方」だという。だから、「自己が所有している肉体を使って労働すると、その成果である私有財産も自分のものとなる」。だから、その財産を取り上げる課税は、国家から強制的に働かされたのと同じことになってしまう。つまり、課税は強制労働であり、一種の奴隷制だというのだ。(ハーバード大学:白熱教室」)

しかし、この考え方を徹底していくと、売春については、「自分の体をどう使うかは女性の自由だから、それを道徳的な観点から法律で規制するのは正しくない」という議論が現れる。姦通や同性愛についても、「性的同意年齢に達した者は自分の性の相手を自分で選ぶのは自由だから、それを禁止すべきではない」という主張になる。また自殺ほう助も、「自分の命の持ち主は自分だから、自分の命を終える自由もあるし、それを医師に助けてもらうことも自由であるべきだ」という議論になる。そしてついには、「合意による食人」も、「食べる側と食べられる側が自由意志に基づいて合意していれば、何が悪いのかということになりかねない。[vi] お父様の考えとは相容れない主張と言えよう。自由至上主義を賛美する国進様と亨進様は、この矛盾をどう考えるのだろうか。

サンデル教授が、リバタリアニズムに対する批判を紹介している。

「リバタリアニズムが、自由競争が保障されていれば、貧富の差が生まれてもやむを得ないというが、そのスタートラインが異なるのであれば、その競争は公正だとは言えないとの批判がある。事実、アメリカの最も優秀な大学では、貧しい家庭出身の学生はたった3%しかいなかった。また、70%以上が裕福な家庭出身だった。また、アメリカ最高裁の判事の年収が20万ドルなのに対して、テレビの裁判番組のジュディ判事の年収は100倍以上の2500万ドルであることからもわかるように、現在の市場経済では、人間の才能や努力は人々が何を望んでいるか、需要と供給の法則で決まってしまう。しかしそれは、道徳的に正しいこととは別だ。だから恵まれた者は恵まれない者の状況を改善するという条件でのみ、その幸運から便益を得ることが許されるのだから、政府による福祉が必要だ。(白熱教室)

国内における貧富の差、失業、先進国と後進国との格差、大企業や巨大金融機関による収奪といった問題は、政府を天使長と断定し、「小さな政府」にすることばかりを望んでも解決しない。神の願いを知った聖徒達や良心的な人々が、有能な政府を組織して解決すべきものだろう。さらに、国家を越えて、超民族的、超国家的な理想世界を実現しなければならないのである。

アメリカでの国進様の講演の後の質疑応答で、ある貧しい教会員が、自分は国から生活保護を受けているのに、今後はどうしたら良いのかと質問したという。これに対する国進様の答えは、「教会が与える」というものだった。この「教会」とは国進様が批判しているキリスト教会のことだろうか。あるいは、統一教会のことなのだろうか。統一教財団や統一教は、リストラや除名はしているが、教会員に平等に生活保護を与えているという話は聞いたことがないが、それはいつから実施されるのだろうか。

 

5、自由の原理的意義[vii]

ここで、原理的自由とは何かを考えてみたい。その際、参考になるのは、社会心理学者のエーリッヒ・フロムの「自由」についての分析である。(「自由からの逃走」)[viii] 彼は「…からの自由」と「…への自由」という、二種類の自由の違いについて述べている。

人々は、ルネッサンス、宗教改革によって、前近代的な諸々の絆や束縛から解放されて自由を手にしたが、孤独や不安にさいなまれ、自由を耐えがたい重荷であると感じるようになった。そうなると人々は、他者を支配し、搾取しようとする(サディズム)か、逆に他者に服従する(マゾヒズム)ことにより、「孤独感」や「無力感」から逃げようとする。そのため、ファッシズムのような政治体制が生まれ、真の自由を失ってしまう。

もう一つの道は、国民一人ひとりが「自由からの逃走」を否定する生産的(創造的)な生活と主体的な責任感を持つことで、全体主義(個人の道具化、社会の機械化)の悲劇を回避することである。これは、人間のパーソナリティ全体の実現をめざして、自発的に行為する積極的自由の道である。これは「…からの自由」にかわる「…への自由」の道である。

理講論にある「自由の原理的意義」には、①原理を離れた自由はない、②責任のない自由はない、③実績のない自由はないとあり、「人間が、自由をもって、自身の責任分担を完遂しようとする目的は、創造目的(三大祝福)を完成して、神を喜ばせ得るような実績をあげようとするところにある」(自由と堕落)とある。これはまさしく、エーリッヒ・フロムのいう積極的自由(…への自由)であろう。

まず、第一祝福は個性完成である。蕩減復帰の荒野時代が終わり、良心に基づいて、正午定着の影のない生活、神様に直接報告する生活は、まさしく原理的自由を基本とした個性完成生活であり、後天時代[ix]の出発であろう。今の統一教会が、「他者を支配」したり、「盲目的に服従」したりして、真の「自由」が失われていなければ幸いである。

第二祝福は家庭完成である。共生共栄共義主義社会は、家庭完成をもとにして、「和合した真なる人間愛と神様が一体となった世界、愛のユートピア」[x](真の神様祖国光復)である。そこでは、あらゆる社会の人々が、喜怒哀楽を共にする一つの有機体となるので、「他人を害することが、すなわち自分を害する結果をもたらすので、犯罪を犯すことができない」[xi]のである。これこそ、「弁護士、検事、裁判官も必要ない世界」だろう。インターネットの普及により、隠し事のできない世界が到来しつつあるのは、「愛のユートピア」の準備かもしれない。

お父様は、「家庭完成」と「血統」を重視し、それを氏族、民族、国家、さらには世界へと拡大し、地上天国を実現するために、各自が本心の自由、積極的自由でかかわることを求めている。国進様と亨進様は、「個々人の行動が政府などから妨害されない」という意味の消極的自由、リバタリアニズム的自由との矛盾をどう解決するのか、研究が必要なのではないだろうか。

第三祝福は万物主管である。国進様は、「理想世界にもカイン型の人々はいる。永遠の自由の天国を創りたければ、アベルは神の創造した武器をカイン以上に愛さなければならない。そして、我々は力によって永遠の平和な世界を実現することができる。」(2012年1月26日、カープ総会)と、武器を愛することが第三祝福であるように述べているが、お父様の考えと違うのではないだろうか。

たとえば、お父様は、平和メッセージ1で、「聖書のイザヤ書第2章4節の教えのように、今や『銃や刀を溶かして、すきとくわを作る』時です。人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女の命を犠牲にし、天文学的なお金を費やす悪業を繰り返してはなりません。世界のすべての国家の力を総動員し、大宇宙の主人である神様が願われる平和理想世界王国創建に、総邁進すべき時が来たのです」と、明確に武器を捨て、平和理想世界王国を創建すべきだと訴えている。

そもそも、「理想世界にもカイン型の人々はいる」というのも納得できない。堕落の結果生まれたはずのカインとアベルの対立が、天国にもあるというのだろうか。お父様は、「天国とは、神様の真の愛が充満し、真の愛が軸となって建てられた世界です。したがってその世界には、反目や蔑視があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。一人が喜ぶことは全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です」と言われている。国進様は、お父様のみ言を否定しているように思えるのだがどうだろうか。

また、平和メッセージ5では、「自然を愛することは、人間を愛することであり、さらには神様を愛することです。その中で、真正な心情文化と芸術の花が咲き、神様と人間、そして万物が調和して暮らすエデンの園となる」[xii]と言われている。ここで言われているのは、武器のことではない。お父様の言われる「平和警察」「平和軍」にしても、「ウクライナにおいて、自然災害を防ぎ、家庭倫理の確立や純潔を守ることを促進する平和組織『世界平和王国警察』と『世界平和王国軍』の創設を満天下に宣布しました」(平和メッセージ4)とあるように、それは武力ではなく、倫理教育的機能を持ったものなのではないのだろうか。

ましてや、一方で、「弁護士、検事、裁判官」もいなくなり、他方で「平和警察と平和軍」だけがあるとすれば、その社会は世界平和王国ではなく、「平和警察や平和軍」を握った者同士が争う無法社会、あるいは強者の独裁社会となるのではないだろうか。

統一教のウエブサイト(http://www.tongilgyo.org/tongil/index.php?document_srl=188351)によると、国進様は7月28日のサンフランシスコでの講演後、質疑応答を受けた。そこでは、 一週間前に発生したコロラド州オーロラ市での銃乱射事件に対して多くの質問があった。これに対し、国進様は「まことに遺憾なことだ。だが、武器がなくても10人以上が一緒に攻撃したなら、犯人を制圧することができたはずだ。より一層残念なことは、警察が自分達の安全を優先したため、犯人が20分間銃を撃ち続けたことだ」と警察を非難し、さらに「銃器事故で死亡した民間人の数は、独裁国家の横暴で死亡した人の数より何十倍も少ない」と答えたという。

その一週間後の8月5日、ウィスコンシン州オークリークのシーク教寺院で、再び銃の乱射事件があり、多数の信者が殺された。アメリカ人は2億7000万丁の銃を所持しているといわれているが、銃による事故、事件が後を絶たない。国進様には「銃による平和」ではなく、「真の愛による平和」を実現してもらいたいものだ。

最後に、韓国には統一思想研究院が、日本にも統一思想研究所がある。そしてアメリカには統一神学校(UTS)卒業生をはじめとする多くの知恵ある教会員がいる。この文が、各位の議論を喚起し、み言にもとづいた天一国のビジョンが創造されることを願ってやまない。

2012年8月12日

 

[i] 「民主主義は、結局サタンの独裁をなくして、再臨されるイエスを中心とする神の主権を、民意によって復帰なさろうとする、最終的な摂理から生まれた主義である。(だから)キリスト教精神をもって円熟した民主政体の社会にメシアが再臨されれば、その民意によって、神の主権を地上に立て、地上天国を復帰することができるようになるのである。」(後編第4章第7節⑥)

[ii] 「文芸復興運動は、神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させた。神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤を置く人間中心の現実主義思想は、共に神秘と空想を排撃して、人間生活を合理化しながら現実化し、自然と人間とを神から分離させた。…フランス革命による民主主義は、あくまでもカイン型の人生観を立てるために、唯物思想に流れ込んだ啓蒙思想が、絶対主義社会を打破しながら出現したものであるから、これをカイン型の民主主義という。…この革命のいきさつを見てもわかるように、フランスの民主主義は、個性の自由と平等よりも、全体主義へと転化される傾向性を内包していた。…(そして)遂には共産主義世界を形成するに至ったのである。」(後編第5章第2節①、第3節①)

[iii]  「本性の内的な追求が、ヘブライズムの復古運動を発生せしめることによって宗教改革運動を起こし、この運動によって哲学と宗教は創造本性を指向する立体的なアベル型の人生観を確立した。…アベル型人生観の結実体である熱狂的なキリスト教徒達が信教の自由を求めるために絶対主義と戦い、勝利して実現したのがアベル型の民主主義であった。…(それが)イギリスやアメリカで実現された民主主義」(後編第5章第2節②、第3節②)

[iv]共生主義は、神の真なる愛に基づいた共同所有を意味する。神の限りない真の愛によって、その真の愛に満ちた贈り物である一定の神の財産(所有)が、神からわれわれ(私と隣人)に共同管理するようにと授けられたことを意味する。…自然は神と人間の共同所有なのである。それにもかかわらず、人間だけは堕落によって個人主義に流れて土地や万物(財物)の一部を独占するようになり、今日に至っては、自由民主主義の名のもとに、合法的に広大な土地と莫大な財産を独占しながら、感謝するどころか、良心の呵責すら感じなくなっている。隣で人が飢えて倒れるのを見ても、眉一つ動かさずに威勢よく生きている資本家たちの社会が資本主義社会である。彼らはみな、天道に違反した生活をしているのである。…家庭においては、真の愛を中心とした祖父母と父母と子女の共同所有である。…企業は真なる愛の主体である神と、父母と同じ立場の社長と、子女(兄弟)と同じ立場の従業員の共同所有である。…理想世界にも個人所有はもちろんある。…各個人は独特な個性(個別相)を持っているので、衣食住において、自分の独特な事情や趣味に合う生活をするようになる。…個人所有は個体目的の達成のために必要であるが、同時に全体目的を達成するためにも必要である。…人間には、自分の独特な個性を生かし、自分の個人所有物を活用しながら、自由意思によって、他人に愛を継続的に施すために、つまり全体目的の達成のために、欲望と愛と自由が与えられているのである。…個人所有はどの程度まで許されるのであろうか。適正な量と質の程度はそれぞれ自分の良心によって決めればよい。本然の人間においては、良心は本心であって、堕落した人間とは違って、自分が必要とする所有物の量や、酒類、質がよく分かるようになる。…未来世界の経済の特徴は、未来世界は国境のない統一世界であるために、全世界はいくつかの地域的なブロック経済が有機的、調和的に統一された一つの経済圏を成す。すなわち地域的特殊性に会うような地域的特殊産業と、汎域的。普遍的産業が調和と統一を成す、統一産業を形成する。

共栄主義は、理想社会の政治的側面を扱った概念である。

民主主義は本質的に、人民の自由と平等を実現するための理念である。民主主義が多数決原理と議会政治を主張する最終目的も、人民の自由と平等の実現にあった。自由と平等は表裏の関係にあって、自由なき平等はなく、平等なき自由もありえない。…自由民主主義は資本主義を政治的に支えてきたのであるが、資本主義はその構造的矛盾によって、富の格差、富の偏在を招いて、大多数の国民(人民)に経済的な不平等、政治的な不自由をもたらした。そして経済的な不平等、経済的な不自由は、そのまま政治的な不平等、政治的な不自由に連なっている。…個人の個性と人格と価値を重要視するという点で、個人主義は尊重されてよい。しかし利己主義的な個人主義が経済人の精神を支配し、政治家の精神を支配したために、資本家たちは、絶えず利潤の極大化を追求するようになり、政治家たちは政権を利権視するようになった。

民意によってメシアを迎えるためには、神の摂理を遮るサタン側の王国や君主制を崩壊させて、民意が自由に表れるような社会環境を造成しなければならなかった。そのために、神は個人の意思が尊重される民主主義思想を普遍化させたのである。…民主主義はどこまでも民意によって再臨のメシアを迎えるために立てた政治理念に過ぎないのであって、真なる自由・平等・博愛を実現しうる理念では決してなかった。…すべての問題は、神の真なる心理と真なる愛によってのみ根本的に解決される。

共栄主義は、万人が共に参加する共同政治をいう。それはもちろん代議員選出を通じた政治への参加を意味する。代議員選挙の立候補者間の相互関係はライバル関係ではなく、真なる愛を中心として、神の代身者であるメシヤを人類の父母として侍って生活する家族的な兄弟姉妹の関係である。今日まで実現できなかった真なる自由、平等、人権尊重、博愛などは、この天父を中心とした兄弟主義政治によって初めて完全に実現されるようになる。

全世界が一つの国家に統一され、全人類が一つの中心である父母に侍り、その父母の子女として互いに兄弟姉妹の関係を結ぶ方式の同胞主義である。それが、真なる意味の四海同胞主義である。…メシヤ王国もまた一つの地域的な国家ではなくて、超民族的、超国家的なのである。

共義主義は、共同倫理の思想をいう。これはすべての人が公的にも私的にも道徳・倫理を順守し、実践することによって、健全な道義社会すなわち共同倫理社会を実現しなければならないという思想である。…共同倫理社会では、家庭の中心である父母と、学校の中心である先生と、主管の中心である管理責任者(社長、団体長、国家元首など)の三大主体が、神の真の愛をそれぞれの対象である子女、学生、従業員(国民)に対して、絶えず限りなく施し与えるのであり、二次的には、その対象の相互の愛が誘発されるようになり、全社会が愛の園、すなわち、倫理の社会となるのである。そのとき、すべての格差は真なる愛によって消え去るようになる。貧困は、少しでもより多く持つ人たちの真なる愛によって消えてしまう。疎外された者は、管理責任者の真なる愛によってすぐ慰められる。知識の枯渇を感じる者は、有識者の真なる愛によって、すぐその渇きが癒される。かわいそうな人を見れば、助けたくてたまらないのが、神の真なる愛であるからである。そのとき、先生の真なる愛を中心とした学校や、管理責任者の真なる愛を中心とした職場や国家は、すべて家庭倫理を拡大した倫理体系となるのである。

世俗的な愛は、自分の利益を得るために他人を愛する利己的な愛であるが、真の愛とは、人間や万物に温情を施しながら、その対象を喜ばせることであり、対象のために限りなく与えることである。(統一思想要綱付録、共生共栄共義主義)

[v] 「完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能的に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒を通じて、社会全体に漏れなくおよばなければならない。そして人体における、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当するので、理想社会における、政党に該当する役割は、キリストを中心とする聖徒達が果たすようになっているのである。肺臓と心臓と胃腸が、末梢神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする聖徒達を通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。人間の四肢が頭脳の命令に従い、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該当する経済機構は、神の命令に従い、理想社会の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝臓が全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。」(後編第5章第3節②)

[vi] 小林正弥「サンデルの政治哲学」

[viii] 「ルネッサンス、宗教改革このかた、人間は自己をしばりつけいていた第一次的絆から抜け出し、個人として自己を自覚するにいたった。人間は確かに独立的で自律的になりはしたものの、同時に孤立し、孤独で、無力と不安を感じないではいられなくなった。重荷とさもなった自由を背負う人間がたどる道は二つに分かれる。一つの道は、ふたたび絆を求め、個人にかけている力の獲得をめざして、自己の外の何ものかに自分を結びつけようとするものである。このような傾向に適合する第一の型に、サディズム・マゾヒズム的性格がある。これはまた、権威をたたえ、服従しようとするかたわら、自ら権威であろうとし、他人を服従させようとするものであるから、権威主義的性格と呼ぶことができる。第二の型は、個人が自己自身であることをやめ、自動機械人形となり、強迫的画一性に陥るものである。他人と同様で、しかも他から期待されるがままのものになりきってしまおうとしながら、自分では自由であり、自己にのみ従っていると思い込んでいる。ナチズムにもっとも強い共鳴を示したのは、下層中産階級-商店主・職人・ホワイトカラー勤労者-などであった。そこには共通した社会的性格、すなわち強者での愛と弱者への嫌悪、小心、敵意、金銭や感情の倹約、禁欲などの権威的性格が見いだされる。第一次世界大戦を通じてはげしさを加えた地位と生活の下降などの悪条件が、無力感や不安を助長し、服従と権力の追求、破壊への志向を強めた。自由に対するもう一つの道は、理性と感情の両面を含む人間のパーソナリティ全体の実現をめざして、自発的に行為する積極的自由の道である。これは『…からの自由』にかわる『…への自由』の道であり、フロムはこの点で愛と創造的仕事に大きな意義を認めている。」(樫山欽四郎、松波信三郎「世界思想教養辞典」)

[ix] 後天時代は、蕩減復帰により、まだらに染まった旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利することにより、影のない「正午定着」時代であり、アダムの堕落以前の本然の平和理想世界を創建していく時代です。それだけでなく、後天時代は、平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を成した全体、全般、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。(平和メッセージ12)

[x] 私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と神様が一体となった、そのような世界が真の愛のユートピアではないでしょうか。(真の神様の祖国光復)

[xi] 人間の四肢五体が、頭脳と縦的な関係を持ち、肢体の間で自動的に横的な関係を結びながら、不可分の有機体をつくっていくように、理想社会においても、あらゆる社会の人々が神と縦的な関係を結ぶことによって横的な関係も結ぶようになるので、喜怒哀楽を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。それ故に、個の社会においては、他人を害することが、即ち自分を害する結果をもたらすことになるので、犯罪を犯すことができないのである。」(後編第5章第3節②)

[xii] 後天開闢の時代は、人間の堕落によって失ってしまった創造本然の理想世界を再び探し立てる時代です。…自然を墓石、環境を汚染する行為を、これ以上放置、容認してはいけません。…自然を愛することは、すなわち人間を愛することであり、さらには神様を愛することです。皆様の仁政が自然と共鳴圏を成して生きるようになるとき、その中で人格完成の花を咲かせるようになるでしょう。その中で、真正な心情文化と芸術世界の花が咲き、創造本性を中心として、神様と人間、そして万物が一つに調和して暮らす創造本然のエデンの園となるでしょう。(平和メッセージ5)

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。