顯進様の現状理解の観点についての考察(ケン・ベイツ氏の手紙)

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する教会員の皆様

今回は顯進様の下で長年働いてきた、ケン・べイツ氏の手紙の翻訳を送ります。

この手紙を英語で受け取った人達からは、「あなたは間違った側に付いている。お父様の専用機の問題とか知らないのか。」などの批判が寄せられました。

もちろんケン・べイツ氏は、教会員の間で顯進様批判の理由になっている全ての事柄を知った上で書いた手紙です。

知っていても、どのように現状を捉えているのか、その理由を考えていただける契機となればと思います。

それでは皆様のご健勝をお祈りいたします。

真の家庭を愛する会

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皆さんこんにちは、

私は最近顕進様と共に時間を過ごしながら、顕進様が、現在自分自身が置かれている「挑戦的な状態」についてどのような観点から理解しておられるのかを直接聞く機会があり、非常にそれに感銘を受けました。それで、その内容について皆さんにお伝えしたいと思います。ただし、以下の文章自体は、あくまでも私の個人的な経験に基づいた、私の個人的な意見です。

顕進様は、起こってくるあらゆる出来事は、必ず意味と目的があるものであり、現在私達の運動において起こっている一連の出来事も、決して偶然に生じてきたものではなく、意味があって起こっているものである。そして如何なる状況の中でも、そこに働かれる神様を私達が受け入れる時に、神様がその出来事を通して働かれる道が開けてくる、と語られました。顕進様自身が、自分の人生と様々なプロジェクトの中に、生きた神様が深遠な方法で働いておられることを何度も体験しておられ、それに対して深く感謝していると言われました。現在通過しておられる状況も、到底想像もできなかったような状況であるとしても、そのような激しい試練を自ら通過することなくしては理解できなかったお父様の深い心情と路程を実感させてくれるための、神様の下さったものとして理解しておられるようです。

真の家庭のメンバーの中で、私が個人的によく知っているのは顕進様だけですが、私はいつも顕進様の、真の息子として、摂理的人物としての役割を勝利するために、前に向かって挑戦していく信念と決意の次元の高さに驚かされてきました。顕進様と近く過ごすことがあった人ならば誰でも同意されると思いますが、顕進様は、人生に対して適当に対処することができない方です。一日一日を、自分自身について何かを学び、何か新しい神様を見出し、新しい洞察を得る場所に自分を押し出すことの出来る、忘れ難い劇的な日々としなければ気が済まないのです。顕進様にとっては、もしも何らかの成長や教訓を見出すことの出来ない日があったとすれば、いかに愛するか、或いはいかに最高の生を生きるかについての貴重な学びの機会を逃したということになるのです。このような生き方なので、現在通過しておられる状況に対しても、深く感謝するという結論になるのだと私は思います。

皆様も既に何度も聞いておられるように、顕進様に対する多くの非難が頻繁に繰り返されているので、一部の人達はその非難の内容を「真実」として捉えるようにさえなっています。資産を盗んだ;権力に飢えている;位置に対する嫉妬;等々。しかし、顕進様の近くで働いてきた人達にとっては(或いは誰であっても、顕進様のこの10年間の実績と事実を確認してみれば)これらの非難がどれだけ馬鹿げているかがわかります。

しかし顕進様は、これらの主張の間違いを証明しようとして話をされることもなく、むしろ神様の摂理を前進させるための努力を倍化し、その実践と実りを通して、一体誰が神様の歴史的摂理に一致しているのか、それは非難している人々のほうなのか、それとも非難されている人々のほうなのか、誰でも自由に評価するままに任されています。この問題は、物理的にお父様の体の近くに座っている方がそうであると、単純に結論できるものではないでしょうし、むしろ、一体誰がお父様の生涯をかけた事業を継続しているのかという点に注目しなければならないでしょう。

確かに顕進様は非常に困難な時間を通過して来られましたし、全ての困難に背を向けて逃げるのか、それとも、もっと辛く困難の多い道であったとしても、想像を絶する反対を克服して、神様によって呼ばれたみ旨を継続するのか、という、非常に難しい決断をしなければなりませんでした。これまでに顕進様は、自分の過去や、自分の父母、そしてお父様の教えを決して拒絶されたことはありません。ただ、顕進様は、教会が現在とっている方向性に対して同意しておられないだけなのです。

多くの人々が顕進様を親不孝息子として非難することにより親子の関係が切り裂かれていった時に、そのような耐え難い苦痛の中におられる顕進様を見ながら、私はその拒絶された経験を理解しようと努めました。私は(その時は、やや冗談っぽく)「顕進様を強く反対する人たちにより、却って神様のもっと深い心情に至る扉の鍵が与えられた!」と言っていました。というのは、顕進様が苦しまれながらも、それによってより一層神様に近づいて行かれる姿を目撃し、また、神様がそのような顕進様と共に働き続けておられる様子を、はっきりとこの目で確認することが出来たからです。このような神様との近さは、困難を与える人々によってもたらされたものではありません。確かに彼らはその困難を与えることによってその道を開いているのかも知れませんが、神様の恵みを経験したり、神様の痛みの心を知るのは、あくまでもそうした試練の只中で神様を求める人々にのみ与えられるものだからです。

近年、顕進様が何とか一点を突破して真の父母様にお会いしようとされた時の個人的経験により、真の父母様は現在教会で起こっていることと、顕進様自身の活動に関しての正確な報告を得ておられないことがはっきりしました。最近の活動報告に関してすら、真の父母様は実際に何が起こっているのかという真実よりも、リーダー達が聞いて欲しいと願っていることだけを聞かされておられるようです。まさにこのような矛盾する文化に対して、顕進様は指導者の位置にあった時から既に反対を叫んでおられ、今日も反対し続けておられます。

多くの人々は、様々な点について、私たちの教会の文化が変わらなければならないということに賛同していますが、それについてはここでは言及しません。それらのいくつかは、新たな政策を立てたり組織構造を変えたりすることによって変えることができます。しかし、より深い問題について言えば、多くの変化にも拘らず今もなお存続し、私たちの運動の内部においてのみならず、私達のパートナーとなる他のグループとの関係にも問題を生じさせています。おそらく、そうした文化的な問題は、私たちの根本が揺らぎ、私達が全てを失うと感じるところにまで追い込まれてみない限りは解決されないのかもしれません。その時になれば、私達の唯一の選択肢は、神様に回帰し、自らの進むべき方向を必死に神様に尋ね求めることになるでしょう。顕進様はそのような場面の多くを通過され、その度に人生を刷新し、新たな信仰的強さを見出されたことを私は知っています。

顕進様の行動に関する私の見解に同意されない方もいらっしゃるかもしれませんが、それはおそらく大前提が異なっているからだと思います。顕進様は間違っているのだという前提に立って話を始めるならば、その上に様々な主張を構築することは可能です。2008年、2009年に真の父母様の周辺で起こっていたことに関する顕進様の懸念が妥当な懸念であったということを理解されれば、その後、顕進様が何故このような路程を選択せざるを得なくなったのかという理由を理解されることが可能になると思います。顕進様に反対する多くのキャンペーンと宣言文は、顕進様は間違っているという、欠陥と虚偽に基づいた大前提によって構築されているからです。

顕進様の近くで仕事をしているからはっきりと言えることですが、顕進様は決して他の子女様に関する否定的な噂の出所ではありません。顕進様は彼らと意見が異なるかもしれませんが、彼らを攻撃しておられません。いろいろな人が他の子女様に関して好意的でないことを言いふらしていますが、顕進様及び顕進様と共に働く人々は、決してそれらの噂の出所や加害者ではありません。

私は、皆様にとってこのメッセージが、顕進様に対する私の信頼を理解して下さる一助となり、神様の摂理の行く手に対する希望を持つ手掛かりとなることを願っています。余りにも不正確な話が多く飛び交っているので、私が直接経験したことお伝えしたいと思った次第です。

祈りと愛を込めて、

ケン・ベイツ

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