不十分な情報で一つの観点を結論付ける無理を本当にしなければならないのか?

「Pioneer! CARP Caféの投稿記事を掲載します。」

天福宮におけるOOOO先生の講義の内容を読んでみましたが、私が勉強してきた原理の内容からは、ちょっとついていけないところがあります。提示してある図表もちょっと説得性がありません。講義の内容に関しては、一つの立場を代表したものだとはわかりますが、物事にはいろいろな立場からの異なった見方がありえますし、それをいちいち言い出したらきりがないのでやめておきますが、しかしある意味ですごく説得力のあるのは、「お父様が、OOOOがサタンの立場だと語られた…」という部分です。この一文が、全体に凄い力を与えています。そうであるだけに、ここで私達は慎重に深く思考する必要があると感ずるのです。

私も含めて「日本人」にとっては、お父様がこうおっしゃっていると言われると、「はい、そのとおりだと信じます。」というのが、ほぼ当然の答えです。それ以外の答えはほぼあってはいけないことになっています。それこそ「カラスも白い」と信じるべき正当的な理由があるわけです。それを否定すると、「お前、どこかのOOOグループか?」と言われるかも知れません。

そこで、深い思考が必要だと私が思う理由は、我々の知らないことが幾つかあるからです。お父様が実際にそうおっしゃったのかどうかと言い始めると(もちろんそれもとても重要ですが)またややこしい話になりますが、たとえ実際におっしゃったとしても、我々が知らないのは:

1、まずは、人類の蕩減を全て背負っていかれる真の家庭の事情の背景には、どのような意図と作戦を持ってサタンが攻撃をしているのか、そして、それらを全部知っていらっしゃる神様は、それに対してどんな心情と、どんな摂理的意図を持って見守っていらっしゃるのか、といった内容であり、また実際問題として

2、お父様が、どのような文脈の中で、どのような心情的、事情的背景の中で、そうおっしゃったのか? そこにどのようなお父様の感情が込められているのか? その背景となる事実の内容について一般食口である私達は殆ど知らされていません。公的に知らされる部分は、ある特定の結論を説明するための事実全体のごく一部分に過ぎないということです。その一部の事実(事実かどうかをどこまで確かめられるのかもまた問題です)だけを見て、一般食口である私たちに、正確な判断がどこまでできるのかは疑問です。

3、一体どのような内容の報告を聞かれて、どのような事実に対する反応として、そうおっしゃったのか? その報告の中には、どのような事実と、どのようなそれ以外のもの(事実でないことも含んで)が含まれていたのか? (報告者の責任分担に関わってくる内容です。報告者は普通の場合完成した人間ではないのは、皆さんもご存知のところです)

4、それは、誰が、どのような心情的、事情的背景と、どのような意図と感情を持って、或いはどのようなお父様の反応を期待して報告した内容なのか?

5、お父様はよく互いに相反する内容のみ言葉を、異なった状況の中でおっしゃったりされることは周知のことだと思いますが、一体誰が、どういう意図と目的と動機で、膨大なお父様のみ言葉の中から、その特定のみ言葉を選んで、(別のものを選ばずに)それを引用することを決定したのか?

しかし、日本人は普通こういう疑問は持たないようになっているかもしれません。というのは、お父様は全て見抜き、知り尽くしておられる。という深い信仰の故です。私は決してこのような深い信仰に疑問を呈する気持ちは毛頭ありませんが、今や後天時代に入って、私たちの子女としての責任分担は何かということを、深く考えてみなければならないのではないかという気がするわけです。

上記のように、我々の知らない内容がたくさんある状況の中で、単に「お父様がおっしゃったと言うことですので、はい信じます」と言うことが、果たして後天時代における私の子女としての責任分担を果たしたことになるのかということを自問せざるを得ないのです。もちろん、アブラハムの、「イサクを殺せ」という命令に対し、「はい」と答えた信仰は、立派過ぎるほど立派なことであり、あの時点では神様が最も必要とされていたことだろうと思います。しかし、後天時代においては、ただ、「きっと何か意味があるに違いない」と思いつつ「はい」といって信じるだけでは、神様が願っていらっしゃる実体の天国を実現化することは、難しいのではないかと思います(もっと主人としての責任が要求されているかもしれません)。-もちろん、アブラハムの時との一つの違いは、アブラハムは神様から直接に「イサクを殺せ」と命令を受けたようですが、我々の場合は、誰かが、「お父様は、これこれこうこうおっしゃっている」と、間接的に言ってくることが殆どのようです。

まあしかし、あくまでお父様の説かれた原理は真理であり、我々はあくまでも原理に従って生きるべきであることには変わりないでしょう。ですから万が一、OOOOさんが「サタンである」という最終的結論を下されるのなら、私達が実践すべきことは、原理に従って、サタン自然屈服の為に、自分の一番大切なものを犠牲にしても、そのサタンを真の愛で愛していく以外にはないわけですから、OOOO先生の立っていらっしゃる難しい立場は本当に大変とは思いますが、「OOOOは堕落した天使長の立場にOOOOは堕落したアダムの立場であるために、私達は決して尊敬することが出来ません。そして、愛することも出来ません。」といわれたポイントなどは、修正の余地があるのではないかと思います。

長々と書きましたが、結論は、こういう状況の中で私たちが人間として果たしていく責任分担の内容に関して、様々な意見はあると思いますが「もう少し深い思考が求められる」のではないかということです。

2010年11月3日投稿記事

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