文顯進会長講演文集 「神様の夢の実現」 出版記念会でのみ言 (6/1/2011)

「Pioneer! CARP Caféの投稿記事を掲載します。」

祝福中心家庭に会ったのも随分久しぶりのようです。まるで数年間の長い旅行を終えて、ようやく家に帰って来た感じです。今日は非常に特別な日です。正に2年前にお父様の自变伝出版記念式があったその日です。私は信仰人としてこういうことは単なる偶然の一致とは思いません。天と、さらに言うなら運命までもが、何らかの意味と目的を持って動いているのです。

皆さんが私の本に何が書いてあるのか気になっているかと思います。これは1998年から2008年までに語った内容の中から17編を集めて編纂したものです。皆さんは私が19歳の少年の時から39歳に至るまで語った内容には一貫性があるということを発見されることでしょう。それではこの本が、特に今この時に何故重要なのでしょうか。多分皆さんは私について沢山の話を聞かれたはずです。皆さんは今「サタン」を見ています。あるいは「堕落したアダム」を見ているかも知れません。[共に笑われる] もし私がサタンや堕落したアダムだとしても、神様の側を代表する人々はどのように行動しなければなりませんか。神様の側を代表する人々は、その生き方が真の愛の価値に基づいて生きながら心情文化を代表する男女でなければなりません。こういう人々は、サタンのような人がいるという場合には、真っ先に手を差し伸べてその人を起こし、立ち上がらせ抱擁してあげるはずです。それゆえに真の愛の力がその人の心情と魂を捉え、彼らを神様のみ旨と真理の前に導くようにすることでしょう。(拍手)

最近、もう一人の大きなサタンがいます。郭先生、立ってみてください。(拍手) サタンの為にこのように拍手してくださるのですか。(笑いと拍手)私たちは讒訴する人々にならなければなりませんか、それとも全人類を抱く人々にならなければなりませんか。イエス様は、「罪の無い人が先に石で打ちなさい」(ヨハネ福音書8章7節)というみ言葉を語られませんでしたか。しかし、イエス様が語られたことよりもっと重要なことは、真のお父様の生涯と牧会を通じて私たちが見て経験したことではないですか。それは空虚な言葉ではなく、真のお父様の生き方に具現化されています。私たちが初めてこの運動に同参した瞬間のお父様の生き方を顧みると、真のお父様は皆さんを讒訴されましたか、それとも皆さんがどういう人であれ、どういう出身であれ、関係なく皆さんを抱擁しましたか。(拍手) 真のお父様が自ら立ててこられた基準は、全人類の救援の為の真の愛に根差したものなのです。私たちの門は決して閉じられてはいません。私たちの門は決して審判的であったことはありません。正しい話のようですか、間違った話のようですか。ところで私たちはどういう人々になりましたか。これは私たちの中の切羽詰った一部の人々によって為されたことではなく、私たちの教会の壇上で為されたことなのです。天の基準を代表するべき人々が、同時に天の期待と基準に違反する張本人になったのです。こういう話はこれ以上するのを止めましょう。こんな話をするために来たのではないのです。

皆さんは私が何故この本を出したのかご存知ですか。それは私たちがどういう人なのかを再度想い起こす為にです。(拍手) そして私たちが再び天の基準を持った誇らしい息子娘として立つ為にです。(語られながら涙される)神様と真のご父母様を代表し、拡大された真の家庭の一員として、私たちが限りなく不足であっても最善の努力と真心を尽くしていき、それを世の中が認め、天と人類が認める時、人類の為の神様の夢が統一運動を通じて実現できるでしょう。拡大された真の家庭の一員である祝福中心家庭とは、この時代に天の基準を保護し実体化して生きていく人々です。アジュー? [アジュー!](拍手)

私はこの場に非常に多くの人々が来たがっているという話を聞きました。しかし、たとえこの場にたった一人しか来ていないとしても、私は来てみ言葉を語ることでしょう。たった一人であったとしても、その人を通して、再び私達の運動の希望を見るだろうからです。ティッシュペーパー、ある?皆さんとこうして会えたので、涙が止まりません。私はとても強くて厳しい人として知られているのに、私の感情を現わす必要は無かったのですが、多分私が皆さんに会いたくてたまらなかったからなのでしょう。

何年か前を顧みると、2008年に、或る面において私たちは世の中の頂上に登り詰めていました。ありとあらゆる変化が当時のUPF、特にGPFの活動を通じて起こるようになり、私たちが従前には全く足を踏み入れることができなかった領域への進入路が開かれました。今も私と最も親しい交流関係を保っている、ビショップ・フェレイラのような指導者を考えてみてください。この牧師は世界で最も大きい福音主義改新教会の指導者です。2008年度のブラジルGPFは、私たちが財政支援をしませんでした。その方の教会が私を招待し、「神様の下の一つの家族」というみ言葉を聞くために行事を進行したのです。どうして世界最大のキリスト教教団の指導者にこんなことが起こり得るのでしょうか。お金のためですか。地位のためですか。ビショップ・フェレイラは、私を唯単に一人の若者あるいは平和自体の為の平和活動家、または単純にGPFFと呼ばれる一NGOの代表とは見ていません。その方は私を摂理的な役割を遂行する霊的な指導者として見ているのです。私がこの方に初めて「神様の下の一つの家族」というビジョンと原理的な観点から展望した神様の摂理について説明した時、クリスチャンとしてこの方が悟ったことは、イエス様の真の使命が基督教会を創ることではなく、全人類の救援という約束を実現することだったということでした。この方は最高の地位に上った後に全世界を見渡してみて、よしんば彼の教会がどの教会より大きいとしても、イエス様の使命は唯単に信徒たちの教会を建てることではなく、全人類を救援することだったという事実を知るようになりました。そして彼がこの使命を成し遂げることができる唯一の道は自分の宗教的なくびきから脱し、イエス・キリストの遺業に真実で忠実な役割を遂行することであることを悟ったのです。それを説明する過程において私がこの方に真のお父様の生涯と公的活動について証した時に、「メシア、再臨主」という言葉を使わなくても、この方は真のお父様がこの重大な瞬間に摂理的な役割を果たしておられるという事実を悟りました。そして、真のお父様が「神様の下の一つの家族」というビジョンを通して万人救援の約束を人類に再び持たらしたお方であるという事実を認めたのです。

私たちは去年、南アジア、アジア太平洋、中南米、そしてアフリカ地域を対象に4回にわたる圏域別 GPFを開催しました。私がこれを思いついた理由は、未だ一国たりともその政府が私たちを招待したことがなく、私達の運動の歴史上、開会式がその国の大統領によって計画され準備されたことは、未だ一度もなかったからです。私は去年私たちが収めた驚くべき勝利的結果を皆さんに紹介しようと思います。去年私たちは4回の圏域別GPFの中で最後の国であるケニアで、GPC(グローバル・ピース・コンベンション)を開催し、ケニアは国を挙げて私たちを歓迎しました。開会式はキバキ大統領室で全てを準備して進行しました。皆さんも大部分の方は、2007年のケニア大統領選挙が、数千名の死傷者を出した暴動事件につながったという事実をご存知でしょう。.対立した2派の政敵とは即ち現大統領派と首相派でした。私たちはこのような暴動事件直後の2008年にケニアでGPFを開催し、これが2010年の基盤になりました。しかし、驚くべき事実は、この国がGPF大会とカンファレンスで見せてくれた主人意識です。実際に、私が持ってきた何回かの会談は単に大統領のみならず中心閣僚と共に為されましたが、私のスタッフたちはその度毎に非常に驚きました。私は歳が若く、見る夢が膨大なので、とても大きな要求をしました。スタッフたちは、「わあ、顯進様は期待することがあまりにも多過ぎる」と思いました。ところが大統領との会談で、私が、私たちにはあれもこれも多くのものが必要だと要求した時に、彼の返事は「それから、まだ他に何が必要ですか」というものでした。私のスタッフたちはこの国の大統領がそのように返答するのにあまりにも驚き、何のことを言っているのか分からないほどでした。この大統領は自分の国でGPFと GPCを開催する為に私が要求するどんなものでも喜んで提供しようとしたのです。

驚くべきことにその大統領室が、アフリカの全ての国家首脳を招待したというのです。皆さんが知っておくべきことは、ナイロビで開催される GPFとGPCに他の国の首脳を招待したのが GPFF 事務局ではなく、ケニアの大統領室だったという事実です。皆さんは、行事の写真の中で、私がコンベンションに参加していたケニア大統領とエチオピア大統領と一緒に歩いている写真を見られるはずです。現職の大統領2人が特別にGPCに参加したのです。また、30人の国家長・次官級の閣僚たちがコンベンションに参加しました。そして、もう一つ申し上げると、これらは前職ではなく、現職の首脳及び閣僚たちなのです。写真やビデオを見てみると、私がエチオピアの大統領と座っていて、その横にはケニア大統領、首相、副大統領が並んで座っているのが見られますが、これは彼らがそのように行事を準備したのです。ケニア国家の儀典によると、3名の最高国家指導者、即ち大統領と首相と副大統領が同じ行事に来るというのは、儀典の規定に合わないことでした。それにも拘らず彼らは皆がこの行事に参加し、ケニアの歴史に珍しい先例を残し、また主要メディアによって報道されました。

さらに驚くべき事実は、この行事では首相が5分間演説し、副統領も5分間、さらにはエチオピア大統領も5分間、そしてケニア大統領は10分間演説したのですが、ところが彼らは私に40分間も演説する時間を与えたということです。(拍手)私がメッセージを伝えた後、多くの長官たちが私の演説文をもらって読みたがっていました。行事が終わった後、この演説文は大統領執務室によって73ヶ国家に送られました。今年北アフリカ諸国での民主化運動を皆さんは目撃しているでしょう。これが偶然だと思いますか。今は思想とビジョンが剣よりも力強い力を発揮する時代になっています。去年私のメッセージが世界73ヶ国に伝達された出所は正にケニアのナイロビでした。これが単なる偶然でしょうか。皆さんが本当に祝福中心家庭としての責任を奉じているなら、今日この時代にこれがどれほど神様の摂理において記念碑的な勝利なのか知らなければならないはずです。そのように信じられますか。

今やさらに多くの世界が「神様の下の一つの家族」というビジョンを認識しつつあります。これは唯単にユダヤ・キリスト教諸国だけの為のビジョンではなく、ヒンズー教や仏教など全ての人々の心を動かしているビジョンなのです。どの宗教人であれ自分が考えるアイデンティティと関係なく、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などといったあらゆる宗教的くびきから抜け出して、「神様の下の一つの家族」という神様の夢を実現しなければならないという事実を認識するように彼らの心を動かしている明らかなメッセージとなっています。(拍手) このごろ私たち統一教会は再び「教会」という「枠」の中に入り込もうとしているのかも知れませんが、私はそのようには考えません。ここに立っているこの人は真のご父母様の息子として世界を動かしています。「神様の下の一つの家族」というビジョンと併せて、政治、宗教、学術、青年など、社会の全領域を動かしつつあります。虚飾や見せ掛けから抜け出し、神様がこの時代に求めている摂理的なビジョンに整列するよう人々を導いています。私たちが本当に神様の下の一つの家族であることを悟れば悟るほど、真の父母と真の家庭、そして祝福中心家庭によって成された大共同体の重要さが一層浮き立つことでしょう。さらには私たちが受け入れている原理と様々な価値観は宗教人たちを一つに統合させる普遍的原理と価値観として認識されることでしょう。(拍手) そうだとすると、このようなことは私一人でしなければならないのですか、それとも全世界の全ての祝福中心家庭が共にしなければならないことですか。私一人でしましょうか、或いは皆さんが一緒に取り組んでくださいますか。[一緒にです !] 今この時代は、私たちの生き方全体を最初から導いてくれてきた様々な理想が全てその結実を収めることができるかできないかを決定する時です。皆さんは今これからどうなさいますか。その理想を成し遂げたいですか。[はい !] この時代があまりにも重要な理由は、今が本当に最後の時であるからです。私が言う最後の時という意味は、世の中の終末論者たちが主張する物理的な滅亡を意味してはいません。これは新しいものが誕生し始める時を言います。ところが新しい時代が始まろうとすれば、古い時代が終わらなければなりません。矛盾とも同じことです。特に最後の時には、生きんとする者は死に、死なんとする者は生きるでしょう。

私を育てる時に、真のお父様はこのように語って下さいました。「統一教とこの全ての基盤は全て私のものではない。これは全体が全て神様のものであり、人類のものだから、私の勝手にすることができるものではない。私がこのように苦労し犠牲を払ってきたのは、私と私の家庭の為ではなく、まず神様のみ旨の為であり、人類の為だった。」このごろ或る方々は統一教の基盤と食口たちを全て自分のものだと思っていますが、それは正しい考えですか、間違った考えですか。[間違っています!] 私は UCIを私のものだと思いません。私は UCIが真のお父様のものとも思いません。私は UCIは神様のものだと思っています!(拍手) GPFも私が始めたけれども、これを私のものだとは思わないのです。私は、GPFは神様のみ旨である「神様の下の一つの家族」の夢を成し遂げる為に全人類を対象にした運動だと思っています。(拍手、歓呼) 私の目標は全人類が神様の夢の主人になるようにすることです。その理由は、私は全ての人々が神様と真のご父母様の真の息子娘、拡大された真の家庭になることを願うからです。(拍手) 51パーセントの人類ではなく、全人類なのです! これが神様み旨ではなかったのですか。真のお父様のみ旨が正にこれではありませんか。人々が目を醒ましさえすれば、その夢は全人類のものにならなければならないのではないでしょうか。

今は本当に重要な転機です。私たち祝福中心家庭の責任は何ですか。私は明確に知っています。「ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド」(神様の下の一つの家族)こそ神様のみ旨であり夢です。私のお父様がこれほど苦労してこられたのは、正にこの夢を成し遂げる為でした。真のお父様は私たちに神様に親孝行する全ての道を皆見せて下さいました。お父様がこの道を行かれた目的は、天の父の夢と期待を実現する真の息子として孝子の道理を完成することでした。この道を歩む為に真のお父様は物凄い逆境と試練に直面しなければなりませんでした。甚だしくは神様さえもが真のお父様を試し、献身の程度を測られたと何回も真のお父様が語られました。何故そうだったと思いますか。このような過程を通じてのみ、ご自身の生き方において実現すべきビジョンの真の所有権が「獲得」されるためです!今日私たちは祝福中心家庭としてこの場へ来ています。皆さんは [真のご父母様の] 養子養女の立場に立っています。

ここで暫く下僕と子息の違いについて語ろうと思います。これをよく説明できる比喩として、二つの家があるとしましょう。一つの家には主人一人に多くの下僕たちが暮しており、もう一つの家には親一人と多くの子供たちが住んでいるとします。それでは、下僕にとって最も重要な倫理とは何ですか。盲目的なまでの絶対的な服従です。その家で主人が死んで下僕しか残らなくなると、どんなことが起きるでしょうか。その家は亡びるようになるのです。

祝福家庭の倫理がどうであるべきかを知る為に、もう一つの家について話してみましょう。父母と多くの子女が住む家のことです。父母と子女の関係は何に基づいていますか。絶対的で盲目的な服従ですか。それとも、それは何か他のものですか。何が父母と子女の関係の根本になりますか。父母と子女の関係は真の愛に根拠を置かなければなりません。為に生きる生き方である真の愛は主体と対象をどちらも高めてくれます。ダイナミック(動的)です!それは厳格な構造に根差してはいません。私たちが真の愛について語る時は、心情文化について話します。それは真の愛を具現化するのは文化であって、構造や地位ではないからです。皆さんは原理で個性真理体について学んだはずです。主体と対象の間の動的な授受作用についても学んだはずです。互いの位置と関係はこのように静的に止まっているわけではありません。それは動的に動きます。したがって真正な真の愛の関係はそのような動的な作用に基づいて成立し、これを通じて主体と対象がどちらも高められるのです。そうではありませんか。

今日は或る意味で歴史的な日です。何故ならばこの日は正に私のお父様が世の中に自变伝を初めて出された日だからです。ところで、その同じ日に出版記念会を持ち、私の公的な生き方が盛り込まれた本を皆さんに伝えて差し上げつつあるのです。こういう日に私が息子と一緒にこの場へ来たことは、或る意味で非常に相応しいことです。信元、立ち上がってください。皆さん、信元に拍手をお願い致します。(拍手、歓呼)

私は実は信元の小学校、中学校、高等学校の卒業式には行くことができませんでしたが、ところが今回、信元のウェストポイント(米国陸軍士官学校)の卒業式には参加しました。前は信元は単なる幼い尐年に過ぎませんでしたが、ところが彼をウェストポイントの卒業式で見た時、私はそこに一人の正々堂々たる大人の姿を見出したのです。私がその日の卒業式で息子の姿に窺い得た物凄い自負心と力は言葉で表現することができないほどです。それは私が成し遂げたのではなく、彼が成し遂げたものでした。ウェストポイントを卒業する将校候補生の場合、一般学校に通った学生とは次元が違います。そこでは最初の日から厳格な訓練が始まり、生徒たちは最低の立場から自らの努力を通して一つずつ上っていかなければなりません。このように信元は過去4年間に最高の位置まで上りました。私の息子が正々堂々たる一男子となり、私の傍で神様の下の一つの家族のビジョンを成し遂げていくことができる正しい位置を成し遂げたことに対し私はあまりにも大きな自負心と希望を感じました。拍手してください!(拍手、歓呼)

真のお父様が私たちに見せて下さった忠孝の道とは正に神様のみ旨と摂理に対し主人意識を持つ道であることを知らなければなりません。子女が下僕と違う点は何ですか。子女には相続権があります。相続は所有権を意味します。ところで、それは何に対する所有ですか。お金や地位や権力ですか、それとも他のどんなものですか。(聴衆の返答:心情 ! 血統 !父母の愛 !) 心情、血統、真の愛、そのとおりです。そうなのですが、最も重要なものは何ですか。[夢 !] お父様は何のためにこのように狂ったように先頭立って私たちの前に全ての基盤を築いてこられたのですか。何のためですか。神様のみ旨と神様の夢の為でした。それでは、真の孝子とはどんな人ですか。自分の父親の夢を成し遂げることができる人です。真のお父様はそういう基準を私たちの前に立ててこられました。皆さん、祝福中心家庭は息子娘の立場ですか、下僕の立場ですか。皆さんが子供として孝の道を進みたければ、父親と同じ夢を持たなければなりません。それでこそその家庭が生き延び、神様の摂理は一世代では終わらずに続けて前進していくのです。今日皆さんを訪ねて来たのは正にこのような内容の為です。

皆さんは何者ですか。祝福中心家庭とは何ですか。誰かが皆さんを罪人だと言っていると聞きました。ところで私にとって最も重要なことは、一つの目標の為に投入している生き方です。私たちが絶対信仰、絶対愛、絶対服従により守らなければならないのは、神様の夢を実現し、神様の下の一つの家族を建設するという目標です。皆さんは正にこの目標の主人になり、神様の神聖な息子娘として孝の伝統を持って生きていかなければなりません。

以前にCARPの指導者やメンバーだった人はここにどれぐらいいますか。手を挙げてみてください。皆さんは今何をしていますか。皆さん全員を教育する為に私は多くの時間を投入しました。今皆さんは何をしているのですか。STFはどうですか。ジュニア STFは? 手を挙げてみてください。おぉ・・・皆さんを教育する為に沢山の時間を費やしましたが・・・皆さんは今何をしていますか。皆さんは神様のみ旨の主人になって摂理を進展させていますか。それとも皆さん自身の人生を生きていますか。[自分の人生を生きているのなら] 皆さんは神様を忘れたということですか。縦的な軸である真の父母様と真の家庭を忘れたということですか。皆さん自身が何者なのかを忘れたということですか。

私は命を懸けて進む人です。私が何と言いましたか。生きんとする者は死ぬであろうし、死なんとする者は生きるであろうと言いました。私が STFを始めた時、真のお父様がそんなものは必要ないと私に言われました。全指導者の前でそのように語られました。しかし私は所信を曲げずに推進しました。2年後に真のお父様は私に、「お前がSTFを始めなかったら、二世の教育に大きい問題が生じるところだった」と語られました。

ここに SFPの人々は参加していますか。一度手を挙げてみてください。私がSFPを始めた時、真のお父様はまたもや全指導者の前で SFPなど必要ないと語られました。しかし私はSFPを創設し、活動を続けてきました。2年後にまた真のお父様は私に、「お前が SFPを始めなかったら、私たちは笑いものにされていたところだった」と語られました。

今日人々はどういう理由を付けているのか知りませんが、私が真のお父様のみ言葉に順従でないと讒訴する人々が多いのです。実はその方たちの主張が正しいのかも知れません。皆さんも知っているように、私の人生においては真のお父様のみ言葉に順従であることができなかったことが多いのです。皆さん各々はどうですか。皆さんは祝福中心家庭として信仰路程で真のお父様が下さった指示事項を全て守ってきましたか。天と地の前に良心を持つ正直な人なら、真のお父様の指示に従わなかったことは一度もなかったとは言えないはずです。

今私たちは何に関して語っていますか。もし誰かが「私たちは主人1名と多くの下僕のいる家を造らなければならず、そこで私たちの全体の目標はその1人の主人に仕えることだけにある」と言うなら、それは皆さんが個性真理体であることを否認することに他なりません。皆さんに心や良心が無くて善悪を分別することができず、その主人が正しいのか間違っているのか(判断するのに)何の役にも立てないということになります。皆さんは何の考えも無く、ただ指示に従わなければならないロボットのような存在ということになります。

私は統一教会がたとえ過去に様々な欠点があったとしても、一度もそのような存在として考えたことはありません。したがって私たちは神様から由来した父母の夢を相続された多くの子女たちが父母と一緒に生きていく家を造らなければならないのではありませんか。その息子娘たちが主人になり、種のように全世界に広がって地域、社会、国家、世界に変革をもたらし、世界的救援と持続可能な平和理想世界への約束と所望が全人類に実現可能な夢として位置づけられ得る家を造らなければならないのではないでしょうか。

今皆さんが悟らなければならないことは、レガシー(遺産)です。このごろ私はレガシーについてしばしば語っています。私が言うレガシーとは、既存世代ではなく以前の世代によって確立された何かです。皆さんはこの本を読めば、私が公職を出発した時にレガシーについて語ったことを知ることができます。さらに進んで、そのレガシーは私が過去13年間言及し続けてきた主題だったことを皆さんは知るでしょう。特に以前の真のお父様の時代の様々な事実に照らして見ると、今やそのレガシーがさらに大きな重要性を持っています。今日私たちの生きていく時代は善なる側にも悪なる側にも一晩の間に変革が起こり得る状況であるがゆえに、そのレガシーはさらに重要になっています。だとしたら、真のご父母様と真の家庭のレガシーが何でなければなりませんか。それは非常に重大な質問です。何が真のご父母様と真の家庭のレガシーですか。

神様の摂理は教会を創ることだと言う人々がいます。人類の 51%が統一教のメンバーになってこそ初めて救援が成し遂げられ得ると言うのです。皆さん!祝福中心家庭として、これが真の父母と真の家庭の正しいレガシーだと思いますか。返答が無いということは即ち皆さんもそうではないということが分かっているという意味です。外の世の中ではお父様は相変らず統一教の創始者であるに過ぎません。それゆえ今は私たちの教会も「これが神様の摂理であり、真のご父母様の生涯路程の目的だ」と言っています。

それなら、これが真のご父母様のレガシーとなるべきですか。そうでなけれれば、真のレガシーとは、真の愛、真の生命、真の血統を中心に実質的な真の家庭を成して宗教と人種、国家と文化を超越し、神様の下の人類一家族という神様の摂理的な夢を実現することを言いますか。また、全人類に普遍的救援をもたらしてくれる第3のアダムの立場に立っている神聖な子女として実質的な孝の道理と役割を完成することを言いますか。何が真の父母と真の家庭のレガシーですか。今は非常に深刻な時代です。

自分の献身と信仰に真実な人々は自分の良心に自らが歩むべき道と判断を任せます。真のお父様も語られたように、影の生じない 90度正午定着が正にこうなのです。多くの人々が私に、「あなたは頭に来ませんか」「あなたに今起きていることに対し怒りを感じませんか」「あなたを人格的に殺そうとしていることに対し頭に来ませんか」と訊いてきます。はい、勿論私は神のような人ではありません。私も人です。怒りや裏切りなどを感じることもあります。

しかし、私たちは原理を知ると、自分の不足さに関係なく、私たちの良心の中で真理を認識することができるゆえに、自分の感情と怒りを統制することができるのです。口先だけで真の愛を語るのではなく、実践で見せてあげなければなりません。極端な話をすると、皆さんを偽りで讒訴する人々さえも喜んで抱き許してあげなければなりません。これが私たちの運動の基準ではありませんか。これが完全な自由と解放の為の道ではありませんか。

私は今のような難しい時期に私と共に活動する多くの人々が迫害を受けていることを知っています。彼らの中の一部の人々は信仰が動揺していることも知っています。しかし私はこう言います、「易しい時に信仰を持つことは易しいが、難しい時の信仰こそが真正な信仰だ。今がそういう時であるからこそ、皆さんは真正な信仰が得られるであろう」と。

皆さんも厳しいことは私もよく知っています。しかし私たちが本当に神様の前に真の息子娘になりたければ、真の愛の主人にならなければならず、真の生命を立て真の血統を中心として真の家庭を創っていかなければなりません。これは唯単に正しい言葉というだけではなく、皆さんが実体的にそのように生きていかなければなりません。こういう理由から私は今日の私たち統一運動内部で起きていることをさほど否定的にのみ見ているわけではありません。実は私はこういう道を歩んで行くようにして下さった神様に感謝しています。私がこういう道を歩まなかったら、摂理に対する絶対的な主人意識を持つことができなかったことでしょう。今は私たちの運動において最善の結果も出てき得る一方で、最悪の結果も出てき得る時期です。山羊と綿羊が仕分けされる時でもあります。また、森の中で自らの姿を隠していた蛇たちが現われる時期です。皆さんは今やその蛇たちが誰なのかを目の当たりにすることになるでしょう。天のお父様が私たち全員に期待した真の理想を抱いた人は誰なのかも目の当たりにできるでしょう。

皆さんは顯進様が可哀想だから訪ねて来ましたか。そうでなければ、何の理由で来ましたか。私は可哀想な人ではありません。私を慰める為に訪ねて来ないで下さい。私はとにかくこの機会を通じて私の人生のどの時よりもさらに大きな信念と確信、そして目的意識を持つようになりました。私はこういう機会を感謝しています。アジュー? [アジュー!] そして、私の人生をこうして強く鍛錬してくれる人々にも感謝しています。その方たちの為にも拍手してあげましょう。[拍手]皆さんが今見ているのは、目的意識が明確で揺るがない信念を持った人です。多分私をノックダウンしようと思っている人々がいることでしょう。しかし私は動揺することはないでしょう。私を絶えず揺さぶろうとする人々に警鐘を鳴らさざるを得ない時が来ています。私はその方たちの為に祈っています。何故ならば私を打つ度にその方たちは下に落ちていくはずであり、私は逆に上がっていくだろうからです。今は祝福中心家庭が神様の摂理に対して責任を負わなければならない時代です。私はこの本に収録された17編のみ言葉がこの時代に皆さんの使命を悟らせてくれることを願っています。

今から結論を出す前に、今年私が計画している内容について暫し報告を申し上げます。今年、東北アジア安保をイシューとしてモンゴルで GPFを開催する計画を持っています。今モンゴル政府が私たちの主要なパートナーになっています。実際に去年ケニアで開かれたのと同様に大統領が協助者になってくれています。今はまだ皆さんにその詳細を語ることはできませんが、期待してもよろしいでしょう。

去年、教会や UPF など多くの組職がGPFを妨害する為に多くの努力をしましたが、しかし不幸なことに名声に打撃を受けたのは私や GPFではなく、統一教会と UPFの方でした。実はそういう種類の迫害のお陰で、「神様の下の一つの家族」というビジョンを持った多くの人々が一層献身的になってくれました。本当に不思議なことに、こういう反対が逆にGPFをさらに応援してくれた結果になったというのです。今モンゴルは国家次元で GPFを準備するのに同参しています。

モンゴル GPF 以後に南北関係に肯定的な事柄が起る可能性が高いのです。こういったことのために米国政府もモンゴルGPFに非常に関心を持っています。韓国政府も同じです。また、日本やロシア、中国も同じです。既に6者会談の国々がありますが、私はモンゴルを7番目の国としてそこに加えさせようと努力しています。モンゴルには韓国と北朝鮮の両方の大使館があります。私は今は何も約束できませんが、モンゴルGPF以後に良い進展がもたらされる機会が多いはずです。今皆さんが誇るべき内容は、私たちの統一運動が神様の下の一つの家族というビジョンに基づいて世界的次元で動いているということです。そして、私たちが教えている普遍的な原理と価値観は原理のみならず核心価値に基づいており、東北アジアの平和を定着させる支柱であると同時に枠組みであるという事実です。

モンゴル GPF 以後に私はソウルで地球村指導者たちが集まるGPCを開催するでしょう。その行事に誰が参加するかは今は具体的に言及しません。恐らくここにスパイがいるかも知れないからです。教会や財団側では既に私がモンゴルGPFと韓国GPCを開催する計画を知っています。それで、この部分について皆さん全員に分かち合っているのです。そして、もしスパイ行為をしている方々がいるなら、反対し続けて構いません。結局のところは、その方たちの反対は今後予定されているこの2つの行事を手伝ってくれる結果になることでしょう。

神様は生きておられます。霊界が役事しています。原理は絶対的です。真の愛は全人類を動かすことができます。特に私たち統一教会を見る時、数は尐なかったけれども、希望がありました。その理由は摂理があったためです。重要なことは、お金や教会、そして食口がどれほどいるかではありません。摂理が私たちと共にあるかどうかが重要なのです。私が世界を巡回しながら神様の下の一つの家族のビジョンを教えてあげる時、全ての宗教人たちが最も渇望するのは摂理的な目的とビジョンでした。それゆえ彼らは一旦聞いた後は、すぐに主人意識を持つようになるのです。彼らはこのメッセージが自分たちの創始者から伝えられたメッセージでありビジョンだと思って、私を好むのです。その方たちがこのビジョンの主人になって、私と共に進んでいるのです。

元来は私たち祝福中心家庭が兄姉の立場で全人類を導かなければならないのです。そういう事実をご存知ですか。それでは今私たち祝福家庭はこの世の中をちゃんと導いていますか。それとも再び統一教という小さな枠の中に入り込んでしまっているのですか。私の経験から見る時、世界は今、指導者を求めています。根本的な平和をもたらすことができるビジョンに餓え渇いています。今は神様の下の一つの家族のビジョンを中心に世界が一つになることができる時代です。そして、その過程を通じて真の父母と真の家庭、そして祝福中心家庭の権威が高揚されるでしょう。皆さん!これを信じますか。[はい !] (拍手)

私は皆さんと別れる前に、今のような摂理的な時に特別に皆さんに一つだけ確認しながら訊きたいことがあります。皆さんは神様の下の一つの家族のビジョンの主人になることによって、私たち祝福中心家庭の共同体だけでなく、私たち統一運動に尊厳性を与え、真の父母と真の家庭の実体的な勝利をさらに高揚させる真の孝子孝女になることができますか。決意する方々は席から立って両手を挙げて「アジュー」と叫んで下さるようお願い致します。アジュー!アジュー!アジュー! どうも有り難うございます。

2011年6月1日、ソウル市内マリオットホテル、グランドボールルームにて

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