真の父母様に対する顯進様の孝行心と愛の研究

「Pioneer! CARP Caféの投稿記事を掲載します。」

顯進様の行動を非難する人が、様々な背後の事実関係と事実経過に関する情報に接する時に一旦は納得しても、どうしても理解できない点として執着し非難するのが、何故お父様が帰ってこいとおっしゃっているのを「無視」し、そのお父様の指示に「反抗」し続けるのか、という点ではないでしょうか。

つまり顯進様がどれだけ立派なことを話し、世界的に大統領クラスを相手にしつつ、大規模な超宗教平和運動を推進したりしていることがたとえどんなに「希望的」な事実である(ように見える)としても、「摂理の中心」であるお父様を無視し、お父様に反抗している限りは、その行動は全く無意味であり、無価値であるという見解です。[見解1]

しかも、その見解に更に感情的な要素が追加され、そのようにお父様を「無視」し、「反抗」している顯進様は、「自己中心」であり、お父様を「愛して」おらず、嫉妬心や権力欲などの「堕落性」に基づいて行動している、という、食口達の感情の琴線に触れるようなポイントが追加されます。

それに付け加えて、「お母様を告訴した」とか「お父様の飛行機を使わせない」或いは「お父様の財産を売り払っている」などの「実例」が事実的な観点からは随分「歪曲された情報」であるにも拘らず、何度も何度も繰り返される中で、顯進様に対する一つの情的イメージが形成され、それが教会の教権を通して大々的に宣伝され、食口達の「反顯進様」的感情を形成していきます。[感情1]

そして、その結果は何でしょうか?

「お父様を愛そう!」=「顯進様に対して批判的に見て、審判する(裁く)観点から見つめよう!」 別の言い方をすれば、「顯進様に対して同情し、理解しようとする」=「お父様に対する親不孝」=「食口としてあってはならない姿」というように、「裁きと非難、追及の文化」が、誰も自覚しない中で、自然と食口の間に助長されていきます。[文化1]知らず知らずのうちに「親と子を分断させる文化」(=「父母様を愛する」ならば「顯進様を否定」しなければならない!)を私達の手で作り上げていることに気が付きません。

では、そもそも、出発点であるこの見解[見解1]は本当に正しいのでしょうか?

これに対する答えは、顯進様ご自身の言葉によれば、「僕」と「実子」の違いとして述べられていますが(6月1日、講演文集出版記念会でのメッセージ)、それは顯進様ご自身が自己に課している、或いは追求しておられる孝行のレベルであると思われます。つまり、たとえ一時的には様々な事情により、愛する父母から(そして他の愛する人々からも)誤解されたり、否定されることはあったとしても、実子であるならば、あくまでも長期的観点からの父母の幸せ(父母の願いの成就による)を動機として、自分の行動を決定せねばならない、ということです。

そのような孝子の道理を追求していく道においては、何度も「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」という道を通過しなければならないかもしれません。それはまさしく私達の真の父母様が、とりわけ神様との関係を中心としながら、何度も通過してこられた道であります。それを「真の愛」で乗り越えて下さったがゆえに、今日の私達がいるのではないでしょうか。

それでは、そのような道を顯進様が選択しておられる時に、それを見つめる私達食口の行動はどうあるべきなのでしょうか?

その顯進様の姿を[見解1]に基づいて、「親不孝」「親を愛していない」と裁けるほど(つまりそれ以上のレベルで)自分は神様と父母様を愛しているのかどうか、まず自問すべきではないでしょうか?

或いは、そのようなレベルを追求される真の子女様の姿に学んで、自分も神様と父母様をそれ以上の愛で愛そうと、悔い改めて決意する契機がそこにあるとも考えられるのではないでしょうか? むしろ、子女様がそのようなレベルで父母様を愛しておられることが事実であるならば、真の父母様の似姿になろうとする私達にとって、それはどれほど感謝すべき希望の事実でしょう! しかも、そのような孝子の伝統がお孫様にも相続されている姿を見るとすればなおさらのことです。

現在の教会から公的な位置を通して流されている情報(ある種のプロパガンダになりつつある)を、何の疑いもなく受け入れて「非難しよう! 裁こう!」と涙さえ流すこともあるかもしれません。しかし、その時まず自問すべきではないでしょうか? 自分は「僕」の立場で信仰しているのか、「実子」の立場で信仰しているのか。自分はどれほどの孝行心を持ってお父様の前に立っているのかと。

天国ができたとしても、天国に住める人間というのは「実子」のレベルに達していなければならないと思われます。ひょっとしたらこういう事態の中で私達一人一人が、どのように反応し行動するのかをじっと見つめながら、地上界を誰かに任せていかれる最後の準備の時として、全ての子女達が実子のレベルに到達してほしいという切なる願いと希望を抱えながら、神様と父母様が真剣に注視していらっしゃる場かもしれません。

韓国・W-CARPカフェ・匿名討論コーナー(日本語)

2011.07.19・より引用

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