摂理的目的とInstitution(組織、団体)の主体客体関係を正しく立てるべき時

「真の家庭を愛する会からの受信メールを掲載します。」

愛する食口の皆様、

さて、皆様のもとにも韓国統一教Webサイトの公知事項として、UCI関連公知がメールで送られて来ているかも知れません。

もともと、私達の会はUCIを弁護するためのものではありません。しかし、2009年に教会が、顯進様をUCIに関連させて攻撃し始めて以来、今もその姿勢は変わっておらず、UCIに対する公知という形を取りながら、最終的には顯進様に対する攻撃の意図は何ら変わっていないと思わざるを得ません。一体どうして教会はそこまでするのだろうかという思いも、出てこないわけではありません。また、もともと顯進様攻撃だったのを、郭家とUCI攻撃という形に変えているわけですから、神の意志と真理と愛に根ざしているというより、そこに人間的意図を感じざるを得ません。

しかし、この場では私達は敢えてこうした公知に目くじら立てて、語られていることの間違いや歪曲された事実を一つ一つ取り上げて、吟味しようとは思いません。それぞれの指摘されている出来事の背後に、伝えられていない事件や、様々な背後の事情が伏せられていることを私達は知っております。そして、いずれこうした敢えて表に出されていない事情の一つ一つが、皆様の前に明らかになる時が来れば、皆様も、今教会の公知文を見て感ずるのとは全く違った思いを持たれることでしょう。

ですから、今は、敢えて一つ一つの事項に対して反論するよりも、むしろ、そうした批判をする人たちに対し、愛を持って対する事のほうが必要であろうと思いますし、そうすることが、不変の愛を永遠に貫いて行かれる神様の子女である、祝福家庭としての道ではないでしょうか。皆様も、どうか冷静に判断して下さいますようにお願い致します。

今回は、この問題にも関連しておりますが、もっと根本的、本質的な指摘が届いておりますのでご紹介いたします。

それでは、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

真の家庭を愛する会

 

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顕進様が各地の訓読会中に語られた内容を補足いたしたく思います。先日配布された訓読メモには含まれていませんでしたが、次のような内容を語られました。

今は、摂理的目的とInstitution(組織、団体)の間で、どちらが主体でどちらが客体か、という主体客体関係を正しく立てなければならない時です。昔から、人々の中で、摂理的目的を中心にする人たちと、Institutionを中心にする人たちと、その二つの人達がいたのです。今はその関係が正されなければならない時です。」

Institutionとは、組織や団体などの意味で、お父様が創られたInstitutionを列挙すれば、世界キリスト教統一神霊協会から始まって、とても多くの団体をお父様が立ち上げたことは自叙伝を見てもわかります。顕進様はこうしたInstitutionに対して、摂理的目的が主体で、Institutionは客体の位置に立たなければならない、と言っておられるのです。また、Institutionは自分達の保全に焦点を合わせてしまいがちにになる、という意味のことも言っておられました。つまり、摂理的目的を主体に立てられなければ、自分達の保全のための団体になってしまう、ということです。

これに関して考える上で、顕進様が指摘しているのは、摂理的目的とInstitutionの関係に対する考え方の対比に焦点があるのであって、考え方を異にする人たちそのものに焦点を当てたものではないこと、また、「昔から」とは、お父様が御旨を出発された当初からという意味で言われていて、長い歴史性を持っていることを示唆していることをご理解くださる事を、まずお願いいたします。

さて、顕進様の御指摘は、考えて見ればとても深い意味合いをもった言葉である、と思います。とても深くて、私などに説明できるかも、あやしいかもしれません。お父様が、最初の団体、世界キリスト教統一神霊協会を立てられた頃の、お父様の生涯路程三巻から、お父様の御言葉を下に抜粋しておきましたので、各自で考えていただければと思います。お父様の御言葉を読むと、お父様は昔から全く変わっておられないのみならず、その深さをあらためて感じさせられます。また、顕進様が訓読の最中に語られる御言葉も、こうしたお父様の御言葉と意図にとても近いものであり、それらを本当に実践、実現しようとしておられる、と思います。

教会員が顕進様に関して引っ掛かっていることは、多くがInstitutionに関連することです。どこどこの組織をどうしたこうした、という内容です。顕進様にとって、主体になるべきは、摂理的目的なのであり、Institutionではないのです。ところが、顕進様が、「もし、現在の統一教会が神様のみ旨と摂理にアラインしているならば、私は絶対信仰、絶対愛、絶対服従でその道に従って行きます。しかしそうでないならば、私は統一教会に服従するというよりは、神様のみ旨の前に従順する道を選びます。」と、語らざるを得ないような状況になってしまっていった、ところに問題があり、その詳細を知る人はまだ多くはないでしょう。

1998年の公的路程出発以降、顕進様がぶつかった多くの障害は、Institutionに関するものです。1980年代に、顕進様が公的場で御言葉を語られるようになって、神の創造目的と四位基台の関連に関して語られるようになってから、御旨、あるいは摂理、に関する考えは一貫していると感じますが、Institutionに対しては多くの問題にぶつかられました。顕進様は、上記のコメントをした訓読会の時、「教会員が今直面している問題は、遅かれ早かれ、皆が直面しなければならなかった問題です。私は、若くしてこうした問題に直面しなければなりませんでした。その時に、信仰を深めるのか、信仰を失うのか。」という意味のことを語られました。教会員が、顕進様がInstitutionに関連してこれをした、あれをした、と多くの批判をしていますが、顕進様がInstitutionに関連して、この10数年直面した問題を指摘し始めれば、多くの教会員を傷つけることとなってしまうでしょう。私達が、今を乗り越えようとする時、焦点を合わせるべきものは、神の御旨と摂理であるはずです。

Institutionに関連して言えば、顕進様のお姿を見ていて思うのは、父子関係もInstitutionを超越したものである、ということです。顕進様は「私をExcommunicate(除名)しようとしても、もともと私は、いわゆるUnificationist(統一教徒/統一教会員)だったことがないので、何のインパクトもない。」つまり、顕進様は真の父母の子として生まれたのであって、統一教会員として生まれたのではなく、単なる教会員だったこともないので、Institutionである統一教会の会員としての資格を剥奪されても、意味をなさない、という意味です。さらに、もう一歩進めば、兄弟姉妹関係もInstitutionを超越したものでしょう。故に、顕進様は「私は、教会の食口として皆さんに会いに来たのではなく、神様の真の家庭の一員として、皆さんの前に立っているのです。」と言われるのです。

お父様は、Institutionである宗教や国家を毒キノコにたとえながら、完全撤廃して万人が共に手に手を取って暮らせる平和理想王国を創建することを繰り返し訴えてこられまし、これが神の御旨でなかったら、お父様が神の御旨でないことを訴えていることになってしまいます。これを読まれる皆様が、もう一度、神の御旨と摂理的目的に関して考えてから、顕進様の御言葉を読んでいただければと思うと同時に、Institutionがどうあろうと私達が兄弟姉妹であることに変わることはない事を想起していただきたく思います。

韓国・W-CARPカフェ・匿名討論コーナー(日本語)

2011.02.28・より引用

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「真の御父母様の生涯路程3 – 統一教会創立と摂理の再出発」より

統一教会の起源がいつかといえば、人類歴史と共に始まっているのです。神様の摂理が始まったその日から統一教会の歴史が因縁を持ったとみるのです。」

統一教会の教えは、神の摂理史です。神様がどのように創造の摂理を始め、今まで来たのかという具体的な内容を教えているのです。この世の歴史だけがあったのではありません。人々は知らなかったのですが、この世の背後において、神が関与した内縁的因縁を通して、歴史は展開してきたのです。それゆえ、終わりの日には神が目指す目的の世界に帰結せざるを得ないという事実を知り、準備してきたのが統一教会なのです。」

統一教会が現在、神主義とか、統一主義を主張する全ての論理の内容は、歴史の背後の人間の未知の事実を全部総合して、今日の哲学思潮と現実思潮に符号するように明らかにしたものなのです。それは神の真理であるからです。」

ユダヤ教とキリスト教は、メシアに会うまでの教えであり統一教会は、メシアに会って、生きていく道理を教えているのです。

神様は統一教会だけで存在することを願わず、既成教会だけで存在することも願わないのです。この二つが共同目的を中心として因縁と関係をもって、より大きな世界的な一念を中心として行かなければならないのです。

「統一は二つが一つになることです。“統”という字は統率の統です。主体性があるということです。連合ではありません。統一はあくまでも主体性を持っています。その主体の根源は、どこでしょうか。文何某も全て流れていきますが、主体の根源は永遠に残るべき、絶対的な神様の心情の起源から出発したのです。」

「腕力や力でもって、統一するのではありません。統一できる道はただ真理しかなく、愛しかありません。真でなければいけないというのです。」

統率するということは、自分が絶対的な縦の立場で率いることです。縦的基準がなくてどのように統一をなしますか。」

「統率し、一つにするのです。個人的に統率し、家庭的に統率し、氏族的に統率し、民族的に統率し、国家的に統率し、世界的に統率して、天の地から地獄まで解放し統率できるそういう方法をもって千里の解放の為に、別の言い方をすれば、真の父母の解放と神様の解放を叫んで出てくるのです。」

「そのような目的を持っているので、教会の統一、教会の連合運動をしなければなりません。キリスト教ならば、キリスト教から連合運動を行い、一つにする運動です。その次にはキリスト教が主流的宗教ならば、キリスト教を中心とし、他の宗教と一つになって世界人類を一つにする運動をしなければなりません。それから神様と一つにならなければならないのです。」

「神霊協会とは何でしょうか。神霊で統一するのですが、父子関係の神霊で統一するというこです。その神霊とは何でしょうか。愛を中心とした霊的世界と人間世界の調和を引き起こすことができるものを、神霊だというのです。」

「統一神霊協会という時、神霊的なものとは何かといえば、堕落していない本然の世界です。統一された本然の世界を成し遂げることができる協会です。今後新しい世界へと移っていく時は、世界キリスト教ではなく、家庭教会だけが残ります。真の父母を中心とする家庭です。家庭は真の父母の伝統を中心とした、その愛の因縁によって連結された一本の木のような理想世界であり、統一された世界なのです。」

統一教会というものは、教会ではありません。統一家です。統一家の中には、共産党も入り、民主主義も入り、黒人も入り、イスラム教も入り、仏教も入り、キリスト教も入り、ごちゃまぜに全部入っていて、一つになっていなければなりません。」

真の宗教とは、どんな宗教でしょうか? 自分の教派のための宗教ではありません。教派を犠牲にしてでも、国を救おうとする宗教であり、国を犠牲にしてでも世界を救おうとする宗教であり、世界を犠牲にしても人類を救おうとする宗教です。そうすることができる道を求めてこられた方が神様であられることを、私ははっきり知っています。」

「皆さん、絶対的な善の原則、存在の理想的起源はどこにあるのでしょうか。他の為に生きるところに理想実現があるのであって、自分の為であれば地獄です。それは破滅です。今後、統一教会が滅びるか、繁栄するかという問題もそうです。統一教会自体の為にあるようならば滅びるのです。統一教会が国の為にあり、世界の為にあり、天と地の為にあり、神様の為にあり、自分よりもっと大きなものの為にあろうとする時には、繁栄するのです。」

 

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