母の国の内外の危機を乗り越えるために

「Pioneer! CARP Caféの投稿記事を掲載します。」

統一教会は今、混乱の中にあります。その姿はまるで汚い濁流が巻き起こり、飲み込まれていっているかのようです。具体名を出せないので、すこし抽象的表現で長くなりそうですが、この10年の流れを見ながら、大局的な流れを描写して見たいと思います。この説明は、一個人の見解と思われるかたも多いであろうと思われますが、誰か知っている者、事実を見てきた者が言わなければならない、と思うが故に、この文を差し上げます。

教会員は、顯進様と郭先生を悪者にした宣伝の波に襲われていますが、こうした宣伝は言わば濁った水の流れの一つであると思われます。顯進様の会社を、過去の会社乗っ取り事件に比喩したり、お父様と顯進様を分裂させようとする画策も、引っ掻き回して水を濁す行い、と言えるでしょう。この水に呑まれてしまうと、水の濁りに邪魔されて何も見えなくなります。神様と御父母様に対する信仰を失う人たちすら出てくるかもしれません。本来なら、これから書くことは、知らせる必要がなかったのですが、顯進様に対する攻撃の故に仕方なくお知らせするのです。

物事には神が定めた道理があるはずです。復帰の過程で、本来の道理とは一見反するようなことが一時的にあったとしても、本来の道理というのは変わらずあるはずです。例えば、家庭の中では、長子が他の子女達に対して主体の位置に立つ、のが本来の道理です。そうでなければどうして問題があった孝進様を御父母様は立てようとされたのでしょうか。また、復帰された本然の真の家庭が立てられた後、血統問題によって神から離れた人類を子女として取り戻すために、真の子女様と祝福家庭はアベルの子女とカインの子女という関係に立つ、というのが原則のはずです。しかし、この道理と原則を地上界で立てるのが難しかったことから問題が起こった、と考えられるのです。

顯進様が家庭連合副会長になられた1998年からずっと、顯進様がどれほどカインの子女から引きおろし工作を受け、お父様に讒訴の報告が行ったかをご存知ですか。それは、お父様が自分の子女よりもカインの子女を愛さざるを得ないのを利用したのでは、とまで見えるほどでした。韓国で、日本で、アメリカで、と事件を描写すれば、如何にカインの子女が真の子女に対する道理を果たさなかったかが、わかります。

カインの子女は天使長の位置に立ちます。天使長であるリーダーと真の子女様の間で、エデンの園での難しかった関係が繰り返された、とも見えました。2001年、21日修を顯進様がされた時、「お父様の教えに、お金や地位が重要だ、などという教えはないのに、どうして固執するのか。」と、お父様の御言葉と反する姿を激しく叱られた姿が、その難しさを物語っています。その時と今とで、顯進様が言っておられることが変わったとは思いません。今、顯進様が異端だというのなら、10年前、お父様の直下でリーダーに立っておられたその時に既に異端だったということですか。そうではなくて、清すぎる顯進様が邪魔だったので異端にされたのではないですか。

本来、天使長の位置にあるリーダーは、自分を犠牲にしても、真の子女様を愛する基準を立てなければならなかったはずです。しかし、リーダーの位置にある人が、その位置を犠牲にしてでも真の家庭を愛するのがどれほど難しいか、という姿を私は何度も見てきました。私も、そのリーダーの位置にあったら、同じことをしてしまうのだろうか、とも思いました。それほど、カインの子女がアベルの子女と一つになるのが難しかったのです。このカインの子女の姿勢が、お父様と顯進様の間を難しくする働きをして来たのです。お父様は、自分の子女よりカインの子女を愛さざるを得ないからです。

今まで私は、顯進様とリーダーの立場にある人達の様々な関係を見てきました。資金横領を教会員でない人に暴露されて、仕方なく顯進様がリーダーを解任せざるを得なかったのにも拘らず、却って顯進様に恨みを持ったケース、顯進様は、リーダー達の問題点を指摘されたとしても彼らを許して愛されたのに、自分達は顯進様を守るよりも犠牲にすることを選んだケースなど、状況は違っても行動は似ていました。リーダーの位置が危うくなった事への認識、そして顯進様の持つ権威への挑戦。繰り返されて来た行動は、必ずしも感動できるものではないことが多かったと言わざるを得ません。甚だしくは、最後には自分自身を顯進様の上に立てるようになってしまったという事例も見てきました。清すぎる水に魚は住めないという格言もありますが、顯進様の、金銭問題などに妥協しない姿、政治的に妥協しない姿勢は、人々の脅威となった、とも見えました。

長子の位置にある顯進様とカインの子女達の一体化の難しさは、2005年、2006年ころから、顯進様と他の子女様の間の難しさとなって展開されていくようになりました。ここに、韓国の歴史性から来る地縁と、血縁関係から来るカインの子女同士の権力闘争が絡むようになりました。顯進様と一緒に、郭先生が攻撃される理由もここにあります。この地縁と血縁から来る軋轢の根は既に10年以上も前からありましたが、5、6年前から本格的になりました。

今、問題となっているヨイドの件も、郭先生のプランと、ある方のプランのぶつかり合いでした。決裁の時、顯進様は郭先生のプランを取り、お父様のところまで決裁が持ち込まれて、お父様も郭先生のプランを取ったのみならず、顯進様をもっと大きな世界財団の責任の立場に引き上げたのです。しかし、これで郭先生の立場は難しくなって行きました。郭先生を良く思わない人たちが、郭先生の悪口を真の家庭内に吹き込んで行くのも目に見えていました。

ここまで書くと、顯進様はカインという理屈が浮かぶ方達がいるかもしれません。長くなるので説明は避けますが、よく説明に使われる、お父様がハワイで顯進様と国進様を立ててされた儀式の後、喜んでおられたのは顯進様であったということだけお伝えしておきます。また、その後ヘリコプター事故があった時、お父様は病室で、顯進様を立てて特別な儀式をされたこともお伝えしておきます。

さて、こうした流れの中で、水の濁りの原因は、カインの子女が、御言葉の実体になっていなかったことが、まず真の家庭の長子とカインの子女のぶつかり合いとなり、次にカインの子女の歴史的堕落性が、真の子女様同士のぶつかり合いを生み出すのに強い影響を与えた、と見えるのです。

では、本来はどうなるべきだったのでしょうか。本来は、御言葉の実体となったカインの子女の姿に、真の子女様が感動し、アベルとカインが一つとなり、真の家庭の長子が、真の父母様の下で子女の中心に立つはずだったのです。これが、本来の道理の世界のはずです。しかし、道理を道理と主張することが、難しい時代となってしまいました。顯進様を長子の位置から引きおろすための様々な工作により、水が濁されてしまいました。

原理によれば、本来私達には、過去の聖人義人の果たせなかった内容を蕩減復帰する使命があります。自分達の姿を見ればおこがましい限りなのですが、原理的にはそういう位置にあります。過去の聖人とか義人と呼ばれた人たちの生涯を見てみれば、民を治めるリーダーの位置にいながら、神を信じる民を守るため、征服者に自分の身を差し出して、自分の命を奪う代わりに民の命を救ってほしい、と嘆願した人もいます。自分の位置を守るために必死だったのではないのです。私達は、そういう人たちに霊界で会うはずです。私達の今の姿は、その人たちに会うことのできる姿でしょうか。後世の人々が感動できることをしているでしょうか。真の子女様が感動するような真の愛の姿を私達がしていれば、問題はなかったはずであり、お父様と顯進様の間の障害物になることもなかったはずだと見えるのです。

顯進様は、地位にこだわっているとか、お金にこだわり財産を盗んだとか、性的堕落をしたとか、ありとあらゆる間違いを流布されています。こういう讒訴を顯進様が受けるということは、逆に言うと、讒訴している教会全体にこういう地位と金と性にからんだ問題がある、ということではないでしょうか。人が他人を攻撃する時には、自分自身が引っ掛かって問題があるところを攻撃すると言うではありませんか。顯進様がお父様を拒んでいるのでしょうか。それならば顯進様が去年(2010年)韓国で大会を開く時、顯進様がお父様に会いに行けなくするために緊急会議を開いたのは誰だったのですか。

顯進様はUCIその他、様々な団体を自分の私有にしたかのように宣伝されていますが、私にはむしろ、そうした顯進様の団体は、濁流の押し寄せる中で濁った水を避けるための島、のように見えます。濁った水の流れの中で、顯進様は何も言わずに濁りに染まらず、孤高な場所に立っておられるようにも見えます。私達も濁りに染まらず、本来の道理を果たす者たちとなるべきだ、とは思いませんか。

顯進様は、平和メッセージを訓読されることが多く、殆ど暗記しておられるのではないかと思いますが、平和メッセージ12で、お父様は「一日に数十万人もの私達の兄弟姉妹達が救いの手を待ちながらむなしく死んでいく現実から、どうして顔をそむけることができますか」と言われています。顯進様が、果たして本当に教会が描写するように悪者なのか、それとも、誰も理解しなくても、お父様の願いと御言葉を成就するために必死なのか、顯進様がしていることを良く御覧になってくださることを願います。

巨大な地震災害の中でも、冷静さとマナーを失わない日本人の姿に、世界の人たちが感動しています。中国の人たちは、経済的に追いつくことでは達成できない感動的な姿、と賞賛しています。日本人には世界が賞賛する素晴らしい精神があり、世界が応援しています。地震では洪水にさらわれたかわいそうな人々が多く出ました。その人たちの姿を見ながら、何とか救ってあげたいと思いませんでしたか。洪水にさらわれた人たちに対してはどうすることもできなかったとしても、大きな霊的悲劇から人々を救う使命が、私達にはあるはずです。日本人は、今の教会内の混乱の中でも、世界と後世の人類が感動する見本を示すべきではないのでしょうか。

韓国・W-CARPカフェ・匿名討論コーナー(日本語)

2011.04.12・より引用

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